昨年春、父親の慎二さん(右)ら家族と一緒に山登りに行ったときの浅井譲さん(左、慎二さん提供)
栃木県那須町のスキー場での雪崩事故で亡くなった大田原高校2年の浅井譲(ゆずる)さん(17)の父親、慎二さん(47)は「いつもと同じように自分で準備した大きな荷物を背負い、自転車で出かけていった。譲がもういないという現実がまだよくわからない」と語ると、目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。
うめき声、掘り起こし「眠るな!」 雪崩事故の救助現場
慎二さんも高校、大学と山岳部員だった。譲さんが小学生の頃から、一緒に那須に登った。中学生の時はバスケットボールに夢中だった譲さんだが、慎二さんの背中を追うように高校では山岳部を選んだ。
「不器用だけど、こつこつ頑張る子でした」。昨年の高校総体予選では、けがをした先輩に代わって出場し、本戦の切符をつかみ取った。本戦には先輩が臨んだが、すごく誇らしそうで、息子らしいと感じた。「今では身長も追い越されそうで、登山レベルも息子の方がずっと高かった」
小学生の妹(11)をよくかわいがり、修学旅行先では、妹にたくさんお土産を買ってきた。母親の道子さん(51)には「将来は絶滅危惧種を救う仕事がしたい。信州大学に行って、生物学を学びたい」と目標を語っていたという。
小さいころから生き物のテレビ番組が大好きで、自由研究でカイコを育てたこともあった。「ライチョウを見た、とうれしそうに言っていたゆずの顔を思い出す。勉強も登山も本当に頑張り屋。17年間、幸せだったと思う」と話した。
雪崩のことは27日昼、ネットニュースで知った。慎二さんは「譲はいろんな所に連れて行ってくれた山岳部の先生を慕っていた。先生方の判断を責めるつもりはないが、天候を考慮して講習を中断し、下山するという判断をしてくれたら……」と声を震わせた。
病院で対面した譲さんは、慎二さんのお下がりの冬用ウェアを着ていた。「譲、寒かったね。みんなここにいるよ、って言ってやりました。やっと下山してきてくれたねって。でも、やっぱり生きていてほしかった」。28日朝は「もう早起きしなくていいよ」と声をかけた。
出発の朝、道子さんが持たせたおにぎりはなくなっていた。「最後、食べてくれたんだな。持たせてよかったなって思っています」(力丸祥子)