沖縄風に赤瓦を使った与那国駐屯地の庁舎。屋上から海が望めた=16年12月2日、沖縄県与那国町、小山謙太郎撮影
海洋進出を強める中国を念頭に置いた防衛力強化の一環として、日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)に陸上自衛隊駐屯地が開設され、28日で1年。誘致への賛否が二分した島は、どう変わったのか。
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今月23日、町立与那国小学校で卒業式があった。児童数は50人前後だったが、この1年で自衛隊員の子供たち13人が編入。全児童数が2割以上増えた計算で、複式学級が解消された。
その前日、小高い丘を背に海原を望む与那国駐屯地では、隊員用の体育館や倉庫の建設工事が続いていた。島は今も建設業者らでにぎわう。「飛行機の席も民宿も予約が取りにくい。まだまだ続くよ」とレンタカー店長は話す。
町が自衛隊誘致に動いたきっかけは、財政への危機感だった。小泉政権時の「三位一体改革」で、05年度の国からの地方交付税が1億円超カットされた。外間守吉(ほかましゅきち)町長(67)は「島民の多くは外国からの脅威を感じていない。人口の回復と税収の増加を当て込んだ」と語る。
終戦直後の島は台湾との密輸が盛んで、人口は1万2千人を数えた。今はサトウキビ栽培や漁業が主要産業で、昨年2月には人口1500人を割っていた。島を二分した議論の末、一昨年の住民投票で誘致賛成が上回った。昨年3月以降、約160人の隊員とその家族あわせて約250人が転入し、人口は1715人(今年2月末)に増加。住民税と駐屯地の地代の計約5800万円が町の新たな収入になった。
隊員たちは積極的に島に溶け込もうとしている。島の3地区に宿舎を建て、自治会の祭りや運動会に参加。駐屯地司令の塩満(しおみつ)大吾2佐(39)は「今後進む南西諸島への配備の模範としたい」と話す。
駐屯地の中はどうなっているの…