白旗仮設団地の住民と手紙について話す布田栄子さん(左)=9日、熊本県甲佐町、小宮路勝撮影
熊本地震で自宅を失い、仮設住宅で暮らす女性が、福島県飯舘村の菅野典雄村長と手紙で交流を続けている。東日本大震災による原発事故で6年間の全村避難を強いられた村長の言葉に気持ちを重ね、励まされながら復興への歩みを進める。
特集:熊本地震
《くだもの王国福島は桃から始まり、夏の陽(ひ)をいっぱいうけ真っ赤に色づいたリンゴの季節となりました。》
昨年12月、熊本県甲佐町の白旗仮設団地に住む布田(ふた)栄子さん(65)の元に、リンゴがいっぱい入った小包と手紙が届いた。菅野村長だった。待ち望んだ避難指示解除を翌年春に控え、弾む心情もつづられていた。
《四月からの生活にあれこれ思いめぐらし、この冬を越そうと思っています。》
出会いは約25年前。2人とも酪農を営み、全国酪農業協同組合連合会の役員を前後して務めた。以来、時折会ったり年賀状を交わしたりしてきた。
東日本大震災が発生した2011年。東京電力福島第一原発事故で飯舘村に避難指示が出され、疲れ切った様子の菅野村長がテレビに映った。連絡をとり、避難先の福島市に馬刺しや甲佐町特産のトウモロコシを送った。
やがて、絵本に出てくるような飯舘村の美しい農村の風景を撮った写真集が届いた。「今は放射能の影響でお返しするものがありません」と、メッセージが添えられていた。
それから5年が経った昨年4月。熊本地震で甲佐町も最大震度5強の揺れに襲われた。菅野村長はすぐに「大丈夫?」と電話をくれ、靴下やハンカチ、ラップなども送ってくれた。
地震発生後に届いた手紙にこんな一文がある。
《ただただ前を向いてプラス思考でなるようにしかならないという心も少しもって毎日すごして下さい。》
布田さんの自宅は当時、天井や…