名古屋城、なぜいま木造化論争?
「尾張名古屋は城でもつ」。名古屋のシンボル・名古屋城の天守を江戸時代の姿に戻そうという計画が動き出し、市長選の争点にまでなっている。天守は空襲で焼け落ち、戦後にコンクリートで再建。今や年間190万人が訪れる有数の観光スポットなのに、あえて「復元」するのは?
徳川家康の命で建てられた名古屋城は1612(慶長17)年に天守が完成。石垣上の高さは約36メートル。延べ床面積4564平方メートルは姫路城(兵庫県姫路市)の約2倍の規模だ。1930年に城郭として旧国宝の第1号に指定されたが、築後330年余り経った45年、米軍の名古屋空襲で「金しゃち」や本丸御殿とともに焼失してしまった。
今の天守はコンクリートによる複製だ。戦後14年が経った59年の完成。市民からの2億円の寄付を含め工事費は6億円(市試算で現在の106億円に相当)で、名古屋の復興を象徴する一大事業だった。名古屋城本丸は30年に当時の宮内省から名古屋市に譲渡されたため、現在は市が所有、管理している。
コンクリートでの再建から半世紀以上が経ち、「老朽化」が問題になってきた。市の2010年度の調査で、震度6強以上の揺れで倒壊する恐れが強いという結果が出た。耐震性を高めるのであれば、鉄骨による補強でも可能だが、「木造で復元を」と強く主張したのが河村たかし市長だった。初当選直後の09年から「都市として自慢できるものが欲しい。コンクリート製では名古屋人として寂しい」と訴えてきた。
いまの外観は当時の面影を残す…