完成から80年を迎えた御堂筋=11日午前、大阪市中央区、朝日新聞社ヘリから、細川卓撮影
大阪のメインストリート・御堂筋が11日、「完成80周年」を迎えた。当時、「飛行場でもつくる気か」と驚かれた大事業。にぎわいの中心として変化を重ねてきた。
午前8時、地元で働く人や住民ら約650人が、市役所前―高島屋大阪店前の御堂筋沿いを一斉に掃除した。
本町4丁目(中央区)に本社・大阪本店がある竹中工務店からは約80人が参加。大阪本店営業部の森本耕史さん(53)は「歩いてまちなみを覚えよう」と、毎朝大阪駅から社屋まで歩いて通い、20年余りがたった。本社を東京へ移す企業が相次ぎ、「寂しくなった」。だが、立ち並ぶ店舗や住宅に「バラエティーに富んできた」とも感じる。
昨年から沿道のビルを応援する「竹中バンド大阪」のボーカルとして活動。作詞作曲もしてきた。11日夜も御堂筋MTRビルでのコンサートに出る。「見守ってくれてありがとうという気持ちで歌いたい」
■建設費、店も負担
御堂筋の生みの親と言われるのは、大阪市の関一(せきはじめ)市長(在任1923~35年)。就任後、「都市大改造計画」のメイン事業として、御堂筋の拡幅工事を打ち出した。
幅6メートル、長さ1・3キロメートルに木造家屋がひしめき、荷車がやっとすれ違えるほどの通りを、幅44メートル、長さ4キロメートルの大道路にする計画。市によると、市民は「飛行場でもつくる気か」と驚いたという。工事費用は当時の金額で約3300万円。地主に支払う用地買収費や移転費が大きかった。だが、当時、関東大震災や世界恐慌の影響で国から十分な援助がなく、市は費用の3分の1を沿道の商店から集めた負担金でまかなった。
淀屋橋近くにある1900年創…