広島市南区に残る旧広島陸軍被服支廠。周辺には兵器補給廠などの軍関連施設が多数あった=いずれも、早坂元興撮影 映画「この世界の片隅に」の舞台になった広島県呉市と広島市。作家・高橋源一郎さんが、主人公と原爆投下直前の母親の体験を重ねながら歩きました。寄稿を掲載します。 写真特集「この世界の片隅に」舞台を巡る ◇ 昭和20年(1945年)7月1日付の「(全国)時刻表」は、B3用紙ほどで裏表1枚しかない。 その、敗戦前最後の時刻表に、京都発21時30分の便が記載されている。この列車は、京都を出発した後、明石・姫路間で午前0時を迎える。夜明け前の4時31分に尾道を出発、終点の広島に到着するのは朝7時58分。それが8月6日だとしたら、原爆投下の17分前に着いていたことになる。爆心地に近かった広島駅は大きな被害を受けた。だとするなら、その列車の乗客はどうなったのだろう。 当時は、時刻表通りの運行は困難で、大半の列車は遅延していただろうといわれている。もしかしたら、その列車は、どこか途中の駅で足止めを食っていたのかもしれない。だが、少なくとも、その列車は尾道を出て広島に向かったはずだとわたしは考えている。6日の早朝、その列車に乗るために、わたしの母は尾道駅に出かけたが、1人前で切符が売り切れ、乗ることができなかった、と聞いているからだ。 わたしは、その、母の「広島行きの列車に乗れなかったから命拾いをした」という話を、幼い頃から繰り返し、聞いて育った。そして、そのことに特別の感慨を持つことはなかった。 すっかり忘れていた、母のこのエピソードを思い出したのは、一本のアニメ映画を見たからだ。「この世界の片隅に」である。 こうの史代の原作マンガを片渕須直が監督したこのアニメの主人公は浦野すずという少女だ。すずは大正14年(1925年)に広島市の南、江波という海沿いの町に生まれ、昭和19年(44年)、広島県呉市の北條家に嫁ぎ、北條すずとなる。戦争下での穏やかな日々は、戦況の悪化とともに、過酷なものに変わってゆく。 「この世界の片隅に」は、当時どこにでもいたであろう一人の若い女性の視点を通じて、人びとの日常生活を淡々と描いた。そして、戦争がどれほど生活に食いこんできても、人びとの、生きるという根本を変えることはできないことを、わたしたちに伝えている。 映画の終わり近く、投下された爆弾のためにすずは深く傷つく。いったんは広島の実家に戻ろうと考えたすずだったが、結局、呉の婚家に残ることを決意する。そして迎えた6日の朝。表が急に明るくなる。一瞬の静寂の後、家が揺れ、山の向こうにきのこ雲が広がってゆくのを、すずは見るのである。 そのシーンを見ながら、わたしは、ここにも「原爆投下から奇跡的に逃れることができた女性」がいた、と感じた。くしくも、母は、すずの1歳年下だった。 先日、呉と広島を訪ねた。ひと… |
「片隅」のすずと原爆逃れた母を重ねて 高橋源一郎さん
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