「沖縄を返せ」がつくられたころについて語る全司法福岡高裁支部の元書記長、後藤幸雄さん=福岡市、岡田玄撮影
沖縄の基地反対運動の現場でよく歌われる歌がある。「沖縄を返せ」。沖縄が日本に復帰してから15日で45年になったが、この歌は復帰運動の頃から口ずさまれてきた。ただ、歌詞の一部は、時代によって少しずつ置き換えられており、沖縄と本土との移ろう関係がにじむ。
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特集:沖縄はいま
作られたのは半世紀以上前の1956年9月。労働組合の全司法福岡高裁支部が作詞作曲し、大分市で開かれた合唱祭「九州のうたごえ」で創作部門1位になった。労働歌の作曲で知られる荒木栄氏が行進曲風に作曲し直したものが、全国に広まったという。
この年の6月、沖縄では、軍用地の借地料を一括払いすることで事実上の土地の買い上げを狙う「プライス勧告」が出され、島ぐるみ闘争が盛り上がった。前年には、6歳の女児が米兵に暴行され殺害される事件も起きた。当時、全司法福岡高裁支部書記長だった後藤幸雄さん(85)=福岡市=は、歌ができた経緯を「同じ日本民族として、土地を奪われて苦しむ沖縄の人たちを助けたいという思いだった」と振り返る。
米軍の圧政への反発と、本土復帰運動の高まり。それらとともに沖縄でも広く歌われるようになった。
その歌詞が今、米軍普天間飛行場の移設先として、政府が工事を進める沖縄県名護市辺野古では換えられている。
♪民族の怒りに燃ゆる島
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♪県民の怒りに燃ゆる島
換えたのは、山城博治・沖縄平和運動センター議長(64)=傷害罪などに問われ公判中。「私たちは日本本土から切り捨てられ、犠牲を強いられた。それなのに日本民族の怒りなのか」。そんな思いを抱き、数年前の抗議集会で「県民」に言い換えて歌った。
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