卒業記念のTシャツを眺める仙庭加容子さん。「いま万感の思いをこめて ひとつの時代が終わる さあ新しい旅のはじまり いってらっしゃい」という手書きのメッセージがプリントされている=4月8日、北海道えりも町
北海道の襟裳岬にも春が訪れた。森進一は「何もない春です――」と歌ったけれど、ここには「歌って踊るユースホステル」として名をはせた宿がある。「えりものかあさん」として多くの旅人に慕われた仙庭(せんば)加容子さん(65)が27日、卒業する。
「えりも岬ユースホステル」が開業したのは1970年。加容子さんは26歳のとき、妹と一緒に知床や納沙布岬を回り、このユースホステルに泊まった。
居心地の良さと雄大な自然に魅せられ、地元の福岡に帰ってから「働きたい」と手紙を出した。80年から「ヘルパー」として住み込みで働き、宿主(ペアレント)の秀弘さんと結ばれた。
3人の子を育てながら、最盛期には1日200人を超える若者たちを泊めた。加容子さんはギターを抱えて一緒に歌い、踊り、語り明かした。翌朝、宿を発つ若者たちの姿が見えなくなるまで大漁旗を振った。
やがて若者たちの旅の姿も変わった。秀弘さんは94年に亡くなり、加容子さんは7年後に「民宿仙庭」に衣替えした。それでも、「かあさん」のぬくもりを求める多くの常連客がやってきた。
ひとりで宿を切り盛りしてきた…