佐藤市五郎さんの手記をまとめた冊子
世界遺産登録をめざす福岡県宗像市の沖ノ島から、日露戦争の日本海海戦(1905年)を目撃した手記が見つかった。宗像大社神職の身の回りの世話をした当時16歳の佐藤市五郎さん(1889~1974)が残したものだ。「砲声は『ヅドンヅドン』と萬雷(ばんらい)共怒るが如(ごと)く」と緊迫の様子を伝えている。沖ノ島(沖津宮)では、海戦から113年目の27日、戦没者慰霊の現地大祭が行われる。
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神職が沖津宮社務日誌に海戦の様子を記したことは知られるが、佐藤さん自身のものは初めて。宗像市大島に住む三男の千里(せんり)さん(92)が保管していた。
手記によると、当時沖ノ島の山頂には望楼(監視所)が設けられ、海軍兵士ら30人が駐在していた。05年の5月27日は「西風が最も強く、海上は大荒波」。午後2時ごろ、沖ノ島近海を北上するバルチック艦隊と、南下する日本の連合艦隊の戦闘が始まった。
「数十隻の艦隊が打ち出す砲声は耳をつんざき……無数の水柱が沖天高く突上る」「艦隊が吐き出す煙は海上一帯に墨を流したように暗黒な恐ろしい風影を呈す」などと海戦を伝える。
望楼では、信号長が戦いの様子…