ブレイキンを披露する「TAISUKE」こと野中泰輔さん
ブレークダンスを五輪競技に――。そんな関係者の熱い思いが伝わった。11日、東京都内であった記者会見。14~18歳対象のユース五輪で第3回夏季大会(2018年、ブエノスアイレス)から正式競技に採用されたブレークダンスの最終予選「第1回世界ユース選手権」が来年5月、日本で開催されることが発表された。米国の街角で生まれた若者文化は、スポーツとして根付くか。
「ブレイキン(ブレークダンス)を通じて、日本の若者を元気にしたい」
日本ダンススポーツ連盟の斉藤斗志二(としつぐ)会長(72)は記者会見で熱っぽく語った。究極の目標は将来的な五輪の正式競技入り。ユース五輪での競技採用、世界ユース選手権の日本開催は、その足がかりになるといい、「無上の喜び」と話した。
そもそも、どうやって競うのか。
ブレイキンは、①立って踊る「トップロック」②かがんだ状態で足技を繰り出す「フットワーク」③頭や肩など全身を使って回ったり跳ねたりする「パワームーブ」④ピタッと止まる「フリーズ」――という4要素が基本技。ここに、各選手がそれぞれの独創性をちりばめていく。
試合は1対1や、2対2でダンスを披露し合う「バトル」形式だ。ただ、統一された審判システムはなく、発展途上。連盟の石川勝之・ブレークダンス部長は「今までは『あいつの方がカッコ良かった』という審査員の主観だった」と明かす。
現在は世界ダンススポーツ連盟(WDSF)が、駆け引きや技の難易度、質、音楽性などを踏まえた客観的な採点方式を開発中。日本連盟もWDSFに独自のシステムを提案した。
日本勢のレベルは世界屈指という。世界最高峰の大会「レッドブルBCワン」で日本人初の準優勝を果たした「TAISUKE」こと野中泰輔さん(26)は、「日本のキッズのブレイキンシーンはダントツ。激戦区で層も厚いんです」。プロダンサーとして日本をリードしてきただけに、ユース世代に求める水準は高い。「メダルは必須。取って当然という中でどれだけ自分を出せるか、ですよ」
ブレイキンになじみがない層に向けては、「普段の練習場所は駅前やストリート。『あそこで練習していたあの子が(大会に)出ていた』。そんな風に、身近なものとして見てほしい」と語った。
ユース世代を引っ張るのは、大阪府の高校1年「Shigekix」こと半井(なからい)重幸さん(15)だ。「(ブレイキンは)芸術であり、スポーツ。自分の感情をアクロバティックな動きに吹き込む」と力強い。「ユース五輪では、金メダルを取って帰ってきたい。自信あります」。コメントも切れが良かった。(吉永岳央、吉村真吾)
〈ブレークダンス〉 1970年代に米ニューヨークの貧困地域で生まれたとされ、命を懸けた縄張り争いを繰り広げていたギャングが、暴力ではなく音楽と踊りで戦うようになったのが始まりといわれている。体のあらゆる部分を使って、アクロバット的に踊るのが特徴。本来は「ブレイキン」と呼ばれる。
◇
〈1980年代にブレークダンスで一世を風靡(ふうび)したタレントの風見しんごさんの話〉 僕がブレークダンスを見よう見まねで始めたのは約35年前。当時は「ヒップホップ」なんて言葉は誰も知らなくて、「何? そのへんてこな踊り」と言われました。それがこんなに盛り上がるなんて、ただただうれしい。
ブレークダンスそのものに大きな魅力があったということでしょう。野性的でワイルドで、良い意味で若者の攻撃的なまでの反骨心がにじんでいる。今のブレークダンスは僕の時代から考えたら、ものすごいことになっている。アクロバティックな激しさを見て、純粋に驚いてほしい。
僕はもう54歳。昔のようには踊れないかもしれないけど、いつか五輪競技になる日までずっと応援していきたいですね。