履正社からリードを奪い、喜ぶ東海大仰星の選手たち
■大阪夏の陣
「うおー!」
選抜覇者・大阪桐蔭は13日初戦 大阪大会の対戦決まる
大阪桐蔭と履正社2強時代へ 激戦区、私学7強から変遷
みんなで決める歴代名勝負 甲子園ベストゲーム47
東海大仰星のベンチはお祭り騒ぎだった。5月4日の春季大阪府大会5回戦。履正社に3点をリードされて迎えた八回、1点を返し、なおも好機で5番及川が右越えに逆転3ラン。9―8で勝利した。
及川は中学時代、硬式の「生駒ボーイズ」で履正社のエース竹田に次ぐ2番手投手。「竹田は中学時代から抜けた存在だった」。この日、旧友は投げなかったが、冬の振り込みの成果を見せつけるには十分な一発となった。
仰星は勢いそのままに、大阪3位で出場した近畿大会で準優勝。主将の津沢は「選抜の決勝を戦った2校が大阪にいる。全国の1、2位に何とか食らいつこうという気持ちだった」と収穫の春を振り返った。
「2強」と呼ばれる大阪桐蔭と履正社の野球部には誰でも入れるわけではない。桐蔭は1学年20人前後で履正社も25人ほど。関西を中心に、中学時代に日本代表などの実績を持つ選手たちが集う。例えば、大阪桐蔭の中軸に座る山本は広島、投手と野手の「二刀流」で注目される根尾は岐阜出身だ。
「自分がそんなところへ行っても試合に出られない。高校で成長して、甲子園に出てやると思った」。そう話すのは、昨秋の府大会決勝で履正社を破った上宮太子のエース森田だ。
中学時代は身長が165センチほどで球速は125キロに届かなかった。それでも、3年間で身長は171センチまで伸び、球速は143キロに。大阪屈指の投手の一人となった。5月は毎日20キロの走り込みで、夏の頂点を見据える。
かつての「私学7強」の一角、大体大浪商も復活の兆しを見せる。
春の府大会決勝で大阪桐蔭に3―5と食い下がった。昨秋の練習試合では桐蔭を破ってもいる。エース宮本は1年生の夏に先輩が大阪大会の決勝まで進んだのを見て、「自分もこんな舞台で試合をしたい」と本気になった。
春夏通算32回の甲子園出場も、夏は牛島―香川のバッテリーを擁した61回大会(1979年)以来、遠ざかる。宮本は「強いチームがいるから刺激になるし、頑張れる。自分たちの代で甲子園に出て、『復活』と言われたい」。
「2強」に追いつけ、追い越せ――。全国屈指の激戦区はさらに熱を帯びていく。(山口史朗)