柔道のロサンゼルス五輪金メダリスト、山下泰裕さん(60)のコラム「山下泰裕の目」が今回で最終回を迎えます。山下さんはこのほど、全日本柔道連盟会長に就任したため、1986年7月1日から31年間務めた朝日新聞社の嘱託社員を30日付で退くことになりました。最後のコラムでは、読者のみなさまへの感謝とともに、これから始まる日本柔道界のかじ取りについて思いをつづっています。
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「子どもたちが柔道着を担いで道場に通うことに憧れる柔道界を作りたい」。そんな思いで、今月、全日本柔道連盟の新会長に就任した。覚悟はしていたが、改めて指名された時には責任の重さを痛感した。
宗岡正二・前会長の下で全柔連は定年制の導入、外部役員の起用、女性の活用など、様々な改革に取り組んだ。今度は小学生から大学生までの学生団体、実業団、全国の都道府県連盟と連携し、現場の声が組織の中枢に届くようにする。それが私の責務と考える。
これに伴い、現役引退直後から務めた朝日新聞社の嘱託社員を30日付で退職させていただく。31年間、五輪や世界選手権、全日本選手権などの結果や、ほかのスポーツにも私見を述べさせてもらったこのコラムはこれが一区切りとなる。
私の選手時代と比べ、今は柔道界全体のレベルが高い。多くの国がメダルを取る時代になり、日本で生まれた柔道は世界の文化になった。日本勢の敗戦分析には、一般の方々から「厳しいことを書くね」とも言われた。
最も印象に残っているのは、2013年に起きた女子選手への暴力問題の時の記事だ。「柔道界の体質を払拭(ふっしょく)する時」「暴力や体罰は最低の指導方法」と関係者の猛省を促した。この時は街を歩いている時、電車を待っている間、ホテルのロビーでも、見知らぬ人たちから声をかけていただいた。あの一言、一言が再建への励みになった。
ただ、忘れてならないことがある。それは私もあの時、役員の一人だったということだ。責任もあった。多くの方が役職を辞め、無念だったと思う。だからこそ「あれをきっかけに柔道界の将来が明るくなった」と言われるようにしなくてはいけないと、強く思う。
2度目の東京五輪まで3年。64年は柔道が初採用され、無差別級のヘーシンク(オランダ)の優勝が日本人に大きなショックを与えたが、柔道は世界に広まった。2020年は同じ日本武道館で男女の混合団体が初採用される。日本勢が素晴らしい試合をすることで、また一つ、新しい歴史が加わることになるはずだ。
主観的な考え方をしていた私が、記事を書くために客観的な見方を意識するようになった。視野を広げていただいたと思う。今後も全柔連会長、一人の柔道人として、多くの方に考えてもらいたい問題があるときは、また紙面上で発信させていただけるとありがたい。長い間、本当にお世話になりました。読者の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。(東海大学副学長、朝日新聞社嘱託)