ヤクルトと対戦した1997年の日本シリーズ、第2戦で好投した森慎二さん
西武で投手コーチを務めていた森慎二さんが、28日に42歳の若さで急逝した。1974年生まれで、私とは同学年。森さんが現役時代は記者と選手の関係で取材もした。私が石川・星稜高野球部出身で、同世代の先頭を走っていた松井秀喜さんの同級生だったこともあり、名前も覚えてくれた。
悲しみに沈む西武ナイン 森コーチ急死、大石は涙
長髪をなびかせながら、どこに行くかは球に聞いてくれと言わんばかりに投げ込むストレートと、落差のあるフォークが特徴の豪快な投手。一方で人なつっこい笑顔で近づいてきて「おお。元気か~」と、よく記者の立場の私にまで、わざわざ握手を求めてくれた。
ゆっくりと話したのは、2013年5月。森さんは私の郷里金沢を本拠にするBCリーグ(独立リーグ)石川の監督を務めていた。大リーグやプロ野球で活躍した木田優夫さん(現・日本ハムGM補佐)が、石川で現役続行を決断した取材で出向いた時だった。
森さんが現役を引退してから初めて会う機会だったが、いつも通り笑顔で右手を差し出してくれた。金沢の共通の知人の話や食べ物屋の話など、たわいもない内容で盛り上がった。最後にふと表情が引き締まったのを覚えている。
「やっぱり、戻りたいよな。そりゃ、ライオンズに恩返しをしたい気持ちはあるよ。育ててもらったんだから」。西武に指導者として復帰したいという強い思いがあった。派手な外見だった現役時代とは違って、雰囲気も落ち着いていた。
それから2年後となる15年に、念願の西武の2軍投手コーチとしてプロ野球の世界へと戻ってきた。昨年1軍コーチに昇格したあとに、球場で顔を合わせた。今度は私の方から森さんを探して、「戻ってきたね。戻ってきたね」と、笑顔で握手をさせてもらった。
少しだけ、いつもの笑顔を見せ…