大阪選手権の女子800メートル決勝でスタートを切る高松望ムセンビ
「ようやく戻って来られました」。19歳の夏、高松望(のぞみ)ムセンビは自分が走ったばかりのトラックを眺め、晴れやかな笑顔で言った。
先週末、陸上の大阪選手権(ヤンマースタジアム長居)に彼女の姿があった。女子800メートルに出場し、予選は2分14秒51、決勝は2分11秒33で5位だった。「今回は勝ち負けじゃなく、自分の感覚を取り戻すためのレースでした。順調にきてると思います」。第二の陸上人生へ踏み出せた充実感でいっぱいだった。
2014年世界ジュニア選手権女子3000メートルで4位、ユース五輪の3000メートルで金メダル。日本中長距離界のホープは昨春、大阪薫英女学院高を卒業して海を渡った。ナイキ社が長距離ランナー強化のためにつくった「ナイキ・オレゴンプロジェクト」に参加。20年東京五輪のトラック種目で金メダルをとるため、世界の精鋭集団に飛び込んだ。
挑戦は、ものの見事に跳ね返された。「レースに出ればベッタばっかりで……」。「ベッタ」は大阪弁で最下位の意味。まるで通用しなかった。3歳で父の祖国ケニアから日本へやってきて、母のふるさと大阪で暮らしてきたが、こんなに大きな挫折は初めてだった。「落ち込んで、結構泣くこともありました」。チームの正式メンバーにもなれないまま。それでも周りの人たちはみんな優しく、大迫傑(すぐる)も移動時に車に乗せてくれた。自宅にも招いてくれた。だからこそ、いい結果で応えられない自分が悔しかった。
昨年10月のレースに、腹をくくって臨んだ。「これでベッタならリセットしよう」と。果たして、ベッタだった。プロジェクトから離れる決意を固め、今年2月に大阪へ戻ってきた。そして自分に誓った。「もう一回やり直す。私はここから東京オリンピックを目指す」
2月、練習再開の日を忘れない。大阪府池田市内の自宅から練習場所の猪名川河川敷へ向かうとき、近所のおばちゃんが言ってくれた。「おかえり! がんばりや!」。「あんなにうれしかったことって、ないですね」。小学4年で走り始めてから高校3年までと同じく、かつてマラソンランナーだった父がコーチで、妹の智美ムセンビ(大阪薫英女学院高3年)と一緒に猪名川沿いを走る日々だ。
「走りたくない、陸上やめたい。向こうでは、いつもそう思ってました。でも、その気持ちに負けないで小さな目標を持ち続けられたのは、自分の中での収穫です。アメリカへ行って、でっかい壁にぶつかってよかった。いまは、あのチャンスをくれた人たちに感謝してます」
ベッタばかりでプライドは砕け散ったが、ハートは強くなった。19歳の夏、堂々の再出発である。(篠原大輔)