2016年のリオパラリンピック。車いす女子マラソンで2位に入ったタチアナ・マクファデン=井手さゆり撮影
パラリンピック陸上の100メートルからマラソンまで、7冠を狙う女子車いす選手がいる。ロシア生まれで米国育ちのタチアナ・マクファデン(28)。昨夏のリオ大会では、トラック4種目で金メダル、100メートルとマラソンは銀メダルだった。目標には届かなかったが、世界の喝采を浴びた。類いまれなるスピードとスタミナを兼ね備える彼女は、これまでどんな壁を乗り越え、どんな未来を描くのか。6月に来日した彼女に聞いた。
「東京の人はパラリンピアンをよく知っているし、敬う心がある。3年後の東京パラリンピックに向けて障害者スポーツ人気がさらに高まるといい」
東京マラソンの出場などで、時折訪れる東京は、彼女のお気に入りだ。競技中とは全く違うリラックスした表情で語った。
今回の来日目的は競技用車いすの調整だった。米国代表の競技用車いすは原則、スポンサー契約を結ぶBMWが設計したものを使わなければならないが、マクファデンがリオの100メートルや、マラソンで使用したのは日本製だった。
「感触がよかったし、これだ、というものがあった」。7月14日から開幕する世界パラ陸上競技選手権(ロンドン)や、3年後の東京パラリンピックに向けて「メイド・イン・ジャパンの力は不可欠」という。
1989年、旧ソ連のレニングラードで生まれたマクファデンは二分脊椎(せきつい)症で生まれつき下半身が動かない。そんな彼女に、金メダリストになるまでどんな壁を乗り越えてきたのか聞くと、静かに語り始めた。
生後9カ月の時、実母に経済的な理由から孤児院に預けられた。施設に車いすはなく、移動手段は逆立ち歩きだった。マクファデンは「障害のある私を育てる環境になかったのは理解している。母にはうらみもない」
転機は6歳の時だった。米国保健局で働く女性と出会い、彼女の養子となって米国に移住した。育ての母は、車いすバスケットボールなどさまざまなスポーツの機会を与えてくれた。「この出会いは運命的だった。いつしか私が輝く姿を、2人の母親に一緒に見てもらうことが、私の夢になった」
その夢は24歳の時、ロシア・ソチ冬季パラリンピックで実現する。
ノルディックスキー距離女子スプリント座位で、米国代表の座を勝ち取った。ロシアは生まれ故郷でもあり、何が何でも出場したかった。育ての親にはスポンサー企業が、実母はマクファデン自身が費用を捻出して、2人を現地に招いた。実母と23年ぶりに抱き合った。「母は私を手放すことに罪悪感があったと思う。こみ上げるものがあった」。銀メダルを獲得し、2人の母親を喜ばせた。
マクファデンの次なる目標は、リオで惜しくも達成できなかったパラリンピック陸上の7冠だ。
その目標に挑むため、現在は午前と午後、1日2回の練習をし、1週間で160キロ以上、車いすを走らせる。週2回の筋トレも欠かさない。長・短距離で実力を発揮するため、「太すぎず細すぎない体」を作り上げているという。
「パラ選手はみんな努力して壁を乗り越え、挑戦することで自分の存在を確かめている。情熱を持って打ち込めるものに出会えたことは幸せ」と、かみしめるように言った。(榊原一生)