DeNAの山崎康晃選手=横浜市中区、川村直子撮影
横浜DeNAベイスターズで抑えとして活躍する山崎康晃投手(24)。入団1年目に新人最多セーブ記録を25年ぶりに塗り替える37セーブを挙げてセ・リーグの新人王に輝くなど球界を代表する投手だ。甲子園を目指した帝京高校時代の思い出や球児へのメッセージを聞いた。
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3年生最後の夏、初めてエースナンバーをもらって大会に臨みました。同級生や下級生に、のちにプロ入りする伊藤拓郎(DeNA―BCリーグ群馬)ら、いい投手がそろっていて、それまでは2番手か3番手。悔しい思いをしていたので、1番をつけた時は「よし」という感じでした。
でも、東東京大会5回戦でコールド負けしてしまいました。四回に本塁打を浴びて後輩の伊藤にスイッチ。「ここで終わりか……」と思いました。ライトへの一発、今でも覚えていますね。悔いが残る一球でした。
2年夏、3年春と甲子園に出場しましたが、正直、あまり記憶がないです。やっぱり「エースとして自分が投げていきたい」という気持ちがあって、しっくりきていなかった。ですから、今でも「甲子園に出たんだぞ」と胸を張って言えないんです。
野球を始めたのは小学2年生の時。近所に住んでいた森本稀哲(ひちょり)さん(日本ハム―横浜―DeNA―西武)にサインをもらい、「プロ野球選手を目指したい」と思ったのがきっかけです。森本さんが甲子園に出場した時、帝京の縦じまのユニホームを着ていて、「僕もあのユニホームで甲子園に行きたいな」と憧れ、同じ高校に進みました。
1年生の頃は、グラウンドの外で先輩の練習を見たり、裏方の雑用をしたり。上手な選手はノックやキャッチボールに参加していましたが、僕はグラウンドに入るまで時間がかかりました。3年生が引退して、初めて入れてもらえた時はうれしかったですね。
つらかったのは、よく話題に挙げられる帝京の「3合飯」。容器に詰めた3合のご飯を練習前に食べるんですけど、食べ終わるまでグラウンドに出られない。「体を作らないと試合で使えない」と言われましたが、当時は食が細くて、ずっと苦戦していました。本当にきつかったですね。
支えてくれた家族には感謝してもしきれません。母は僕より早起きして食事を作ってくれたし、片親でしたが私学で野球をやらせてくれた。姉も相談に乗ってくれたり、応援に来てくれたりしました。高校の時、プロ志望届を出しましたが、ドラフトで指名されなかった。それでも諦めず、プロを目指す勇気をくれたのは、母の「あなたはできる」という言葉でした。
今、抑えとして厳しい場面で投げられるのは、高校時代の練習はもちろん、厳しいルールの中で成長できたからです。五厘刈りでおしゃれなんてできない。眉毛をそるのは禁止、ローファーつぶして履くのも一切なし。いろいろ我慢しましたが、それが精神的な成長になったかなと思います。
高校球児のみなさんは、今しかない時間を過ごしています。一戦一戦、思いをプレーに表して、明るくアグレッシブに頑張ってほしいですね。(構成・酒本友紀子)
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やまさき・やすあき 1992年生まれ、東京都荒川区出身。日本人の父とフィリピン出身の母の間に生まれた。小学2年の時に野球を始め、中学時代は軟式チームの西日暮里グライティーズに所属。帝京高校(東東京)に進学した。甲子園には2年夏、3年春に出場し、いずれも8強。亜細亜大学時代は明治神宮大会で優勝、日本一に貢献した。2014年のドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団。入場曲に合わせて観客が一斉に跳びはねる「康晃ジャンプ」は、横浜スタジアムの名物になっている。背番号は「19」。178センチ、85キロ。右投げ右打ち。