追い風参考ながら9秒台で走り、レース直後に撮影に応じた多田修平
関西で強くなる。関西から世界へ羽ばたく。その一心で駆けてきたスプリンターが5日早朝、初めて世界の舞台に立つ。
陸上のロンドン世界選手権が4日(日本時間5日未明)に開幕。男子100メートルで日本代表の座をつかんだのが、多田修平(21)=関西学院大3年=だ。「自分の走りを貫いて準決勝進出を果たしたいです」。その笑顔に、初の大舞台に挑める喜びがにじむ。
この春まで、一般的には無名の存在だった。昨年までの自己ベストが10秒25。それを10秒08まで伸ばして世界選手権の参加標準記録(10秒12)を破り、6月の日本選手権でサニブラウン・ハキーム(18)=東京陸協=に次いで2位。ロンドン行きの切符をつかんだ。
今春の大躍進を振り返り、多田が「あれは大きかった」と話すレースがある。5月21日のセイコーゴールデングランプリ川崎だ。爆発的なスタートで飛び出し、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)や、リオデジャネイロ五輪銀メダルのジャスティン・ガトリン(米)らを50メートル過ぎまでリード。2人に抜かれて3位になったが、多田修平の名が全国区になったレースだった。何より多田自身が大きな手応えをつかんだ。「2月から取り組んできた新しいスタートがはまった。すごい自信になりました」
今年2月から3月にかけての米国合宿で、スタートで余分な力を使いすぎていると指摘され、帰国後も関学の林直也コーチとスムーズな飛び出しを追求して試行錯誤してきた。それが形になった瞬間だった。
しかし、もともと多田はゴールデングランプリに招待されてはいなかった。欠員が出て、滑り込んだのだ。
そこには100メートルの日本記録保持者で日本陸連強化委員長の伊東浩司氏の後押しがあった。伊東氏は多田が関学1年のころから注目していた。「あのピッチはまねできない。足の回転が速くて、きれい。ゴールのとこで見てると、カンカンカンカンって進んでくる。順調に成長してるし、欠員が出たら彼を走らせてやりたいと思ってたんです」と伊東氏。そしてこうも言った。「彼はいつ話しかけても笑顔で、素直でね。ああいうとこもいいじゃないですか」。関学の林コーチも「多田からネガティブな言葉を聞いたことがない」と話す。走りだけじゃない。多田の人間力もあってガトリンやケンブリッジと走るチャンスをもらい、最大限に心を高ぶらせた中で求め続けたスタートをやってのけた。その20日後に追い風参考ながら9秒94で走り、同じ日に10秒08を出した。
レース後の取材ゾーンでも、多田の優しさが見える。大勢の新聞記者らに囲まれての取材が終わったあと、どんなに疲れていても、必ず取材ゾーンの隅で「関学スポーツ」の学生記者に対応している。彼らが立場上、新聞記者たちの輪に入り込んでいけないことが分かっているのだろう。それに、世間に注目されるずっと前から自分のことを書いてくれている人を大事にする気持ちがにじむ。
多田は大阪桐蔭高3年の全国高校総体で6位。1位は東京の選手だった。「ボロ負けでした。あれがほんとに悔しかった。大学でも関東が強くて、関西の大学では対抗できないという雰囲気があった。でも僕は生まれた関西で強くなりたかった。関東に対抗したかったんです」。1学年上の桐生祥秀が京都の洛南高から東洋大に進んだように、関西から関東の大学を選ぶ選手が多い中、関学を選んだ。両親と1歳下の弟と暮らす東大阪市内の自宅から、1時間半かけて通学している。
趣味は一眼レフカメラでの写真撮影。陸上部の仲間に楽しさを教えてもらい、練習が休みになると風景を撮りにいく。ベストショットは、大阪の淀川河川敷からの夜景だ。6月に9秒台を出したあと、ツイッターのフォロワーが一気に1万人も増えたそうだ。
多田の最大の目標は2020年東京五輪で決勝に進むこと。「決勝で外国人選手と張り合いたいです。そこまでに9秒台が当たり前の走りがしたいと思ってます」。いつも笑顔で優しく、芯は強い。そんな21歳は、初の世界の舞台でどんな輝きを放つだろう。(篠原大輔)