選手に指示を出す秀岳館の鍛治舎巧監督=11日、阪神甲子園球場、小林一茂撮影
(11日、高校野球 秀岳館6―4横浜)
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春まで3季連続4強の秀岳館には、負けられない理由があった。鍛治舎巧(かじしゃたくみ)監督(66)が今大会限りの退任を表明。「4度目の正直」で頂点に立って恩返しするため、選手たちは集中打で横浜を破った。
「次やぞ。思いっきり振り抜いてこい」
3点リードの七回2死満塁。ブルペンでボールを受けていた橋口将崇(まさたか)君(2年)は、鍛治舎監督にバットを振るそぶりで呼ばれた。球場に向かうバスの中で「代打・橋口」と告げられていた。心の準備はできていた。
打席で、退任のことが頭をよぎった。「ここまでやってこられたのは監督のおかげ。恩返ししたかった」。追い込まれて、教え通りにバットを短く持った。打球が右前に落ちると、一塁上で左手を突き上げた。ベンチでは、鍛治舎監督が笑顔で手をたたいていた。
熊本大会準々決勝の翌日、7月21日に異変は起きた。練習の準備中、鍛治舎監督が手と口のしびれを訴え、グラウンドに入ってきた救急車で搬送された。突発性不整脈だった。
22日朝、病室から主将の広部就平君(3年)にメールが届いた。「俺は準決勝、決勝とベンチに入れないが、甲子園に連れて行ってくれ。負けたら承知しないぞ」
2014年に就任した鍛治舎監督は、打撃や守備ごとに選手のリーダーを決め、自分たちで考えさせるチームをつくってきた。
「こんなところで負けていられない。監督を甲子園に連れて行く」。その日の練習後、広部君はメンバーに呼びかけた。監督不在で臨んだ熊本大会の決勝は接戦になったが、選手は「楽にいけ」「ここで打ったらヒーローやぞ」と声を掛け合い、優勝をつかんだ。
チームに復帰した鍛治舎監督は、甲子園入り後の8月6日、練習前に選手らを集め、「泣いても笑っても最後の大会になる」と、退任を伝えた。驚いた選手も「うすうす感じていた」選手もいた。チームは引き締まった。
橋口君は横浜戦後、「監督が言うように勝ちにこだわっていきたい。最後に笑顔で終わらせてあげたい」。一方、鍛治舎監督は「明るくめいっぱい、選手と試合ができたらいい」と話した。(沢田紫門)