「ダイナミック琉球」を歌う仙台育英の前武當大斗
(20日、高校野球 広陵10―4仙台育英)
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■仙台育英・前武當大斗
こんなに気持ちいいものだなんて知らなかった。「主役」になる気分が。
今夏の宮城大会からチームが採り入れている応援歌「ダイナミック琉球」のソロパート部分をアルプススタンドで4度、歌った。この瞬間、全員がしゃがみ、自分だけが注目を浴びた。
元、背番号1の右腕。ただ、のんびり屋で、競争が苦手だった。
海がすぐ近くにある沖縄・那覇で生まれた。中学は県大会2回戦くらいのチーム。ただ軟式球で球速は130キロ台後半を記録、遠投は120メートル。力はずば抜けていた。知り合いの紹介で、仙台育英へ進んだ。
同学年は40人近くいた。最初のトレーニングで歴然とした体力差と、みんなの根性に気おされた。6メートルの綱を手だけを使って登る練習。何人も一番上までいくなか、自分は半分くらいで簡単に諦めた。練習の合間もてきぱき動いていないと見えたらしく、よく怒られた。
2年の秋、エースナンバーをもらった。でも、現エースの長谷川がひざのけがをしていたからだろうと思った。「自分は本当の1番じゃないな」。責任感も、取って代わる野心もなかった。
先発した地区大会初戦、一回に不用意に投げた球で長打を浴びて失点。最初の打順で代打を出された。試合後のミーティングで「お前はどういう気持ちで1番を背負っているんだ」と佐々木監督に怒られた。
その後の試合もピリッとしなかった。バッテリーミスで点を奪われたり、四球で崩れたりした。
取り返そうと冬の間、筋力トレーニングに励んだ。選抜大会は10番で甲子園に来た。そのときも、今思えば「自分が投げることはないな」と勝手に決めていた。
登板機会がなかった選抜の後、最後の夏に向かって頑張ったが、今度は空回り。練習試合で厳しいコースを狙うあまり、四球を連発した。迎えた夏のメンバー発表。1、10、11番。投手が背負う番号に自分の名前がなかった。30分間ほど記憶がなかった。
「ダイナミック琉球」を歌うことは偶然だった。大会前に、ベンチを外れたメンバーで応援の仕方を考えていた時のこと。高校バスケットの応援などでよく使われているこの歌を使うことが決まった。「前武當(まえんとう)、歌えよ。沖縄の歌だし」と野球部員の応援団長に言われた。歌は得意で、カラオケでEXILEの「道」を歌い、97点をとったことがある。ただ目立つのは苦手。「えー」と渋ったが、押し切られた。
最初のうち、声はこわばっていた。大観衆が入ったKoboパーク宮城での準決勝・東陵戦では緊張しまくった。だが、引き分け再試合となった翌日、こう思えた。「昨日歌ったから、もう大丈夫かな」。高めの声がよく響いた。
そして甲子園。大観衆の中、みんなの視線を集める快感を味わった。
この気持ちが早くわかっていれば――。エースの座を守れたかもしれない。マウンドで投げる長谷川が本当にうらやましかった。大学に進む。のんびり屋を返上し、今度はマウンドで主役になる。(有田憲一)