前橋育英の市川龍之信
(19日、高校野球 花咲徳栄10―4前橋育英)
最新ニュースは「バーチャル高校野球」
高校野球の動画ページ
みんなで決める「甲子園ベストゲーム47」
この夏2度目の涙だった。泣けて仕方なかった。「終わってしまいました。日本一になるために育英に来たのに」。前橋育英の控え捕手、市川龍之信(りゅうのしん、3年)にとって、苦しい2年半だった。
軟式野球で捕手をしていた高崎市立並榎中3年のとき、右ひじを痛めた。10月に、ひじの側副靱帯(じんたい)を再建する「トミー・ジョン手術」を受けた。また野球ができるようになるには、約1年かかる。高校野球のスタートで同級生のライバルたちに後れをとるのは確実だ。落ち込んでいたら、入学するのがほぼ決まっていた前橋育英の荒井直樹監督が、手紙をくれた。「3年間通して、君を見てるから。いまはつらいだろうけど、頑張れ」。その言葉に励まされた。「高校3年でいい結果を出せればいい」と思い直し、前向きにリハビリを積み重ねた。
入学後はたった1人で別メニューの日々。ボールは握れず、走ったり、下半身のトレーニングをしたり。夏休みが終わり、新チームが動き出すと同時に練習へ合流した。1年後の正捕手を目指し、張り切って練習した。だが、2年の秋に初めてもらった背番号は12。春も12番。最後の夏こそ正捕手にとがむしゃらにやったが、5月に左手首を骨折してしまう。手術した。
またケガか。こんな大事なときに骨折なんて……。最後の夏にベンチにさえ入れないかも……。目の前が真っ暗になった。すると今度も、荒井監督が言葉をかけてくれた。「まだ間に合う。チャンスはある。最後まであきらめるな」。その言葉にすがった。信じきった。何とか群馬大会初戦の1週間前に滑り込み、みんなで甲子園まで勝ち上がってきた。
背番号12でやってきた甲子園で、出番はなかった。しかし、群馬大会で高校野球生活で一番の思い出ができた。この夏、ただ1試合だけ途中出場した3回戦の新田暁戦。並榎中でバッテリーを組み、一緒に育英へ進んだ木島佑起の球を受けられた。木島もエースを目指したが、かなわないまま最後の夏を迎えていた。その2人が、ほんのわずかな時間でも、前橋育英を代表するバッテリーとして試合を戦った。
「2人で育英に来てよかった。すごく幸せでした。3回戦なのに、うれしくて泣きました」
周りの支えもあって、どんなときもあきらめなかった。だからこそ、この夏、市川にとって最高の瞬間が訪れた。(篠原大輔)