六回裏、適時二塁打を放つ仙台育英の尾崎拓海君=20日、阪神甲子園球場、小林一茂撮影
(20日、高校野球 広陵10―4仙台育英)
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仙台育英の尾崎拓海君(3年)は中学時代から注目された強打者で、高校でも4番・捕手とチームの中心だった。ボールが目を直撃する事故でベンチに退いたが、20日の甲子園で今夏初めて、先発出場した。
広陵(広島)との準々決勝の二回裏。打席に入った尾崎君は7球目を中前に運び、笑顔で一塁を駆け抜けた。1月以来、ずっと閉じ込められていた「暗い部屋から抜け、視界が開けた」気がした。
選手生活が一変したのは、冬休みとインフルエンザが続き、1カ月ぶりだった練習の初日。至近距離からの速球に体が反応できなかった。数分後に意識が戻ると体は血まみれで、左目が開かない。深刻な眼窩(がんか)底骨折に加え、内出血もひどく、「救急車を呼ぶのが遅れていたら、失明していた」と医師に言われた。
大阪桐蔭の野球部で捕手だった父の影響で6歳で野球を始め、中学は清宮幸太郎君(現・早稲田実業)と同じ東京のチームで中軸。仙台育英では昨秋から正捕手で4番を任された。だが、事故の後はボールがぶれて見え、左目の下に入れたプレートの影響で視界が狭い。2カ月のブランクで、体力も落ちた。
復帰後は朝練でバットを振り、夜も筋力トレーニングを重ねたが、結果はついてこなかった。宮城大会は代打の2打席だけ。チームは優勝し、ずっと夢だった甲子園をつかみとったのに、素直に喜べなかった。
仙台を出発する前夜、入院中に書いた野球ノートを読み返した。チームに必要なものは何か、戻ったらどんな練習をしようか。前向きな言葉が並んでいた。当時の自分に励まされた気がした。甲子園ではベンチから仲間に声援を送り続けた。
チームが大阪桐蔭を倒してから一夜明けた20日朝。佐々木順一朗監督がチームの前で「今日は尾崎でいく。そろそろ復活してもいい時だろ」と発表した。監督や仲間に恩返しをしようと、グラウンドに立った。
六回も適時二塁打を放った。塁上でみんなが喜ぶ顔が見え、「夢のよう」だった。試合は4―10で敗れたが、終了後も尾崎君は晴れやかだった。「(けがを経て)薄れていた感謝の気持ちを実感した。野球ができるのは当たり前じゃない」。その気持ちを今後も大切にしたい。(山本逸生、石塚大樹)