九回裏明豊無死満塁、左中間に本塁打を放ち、ガッツポーズする三好泰成君=20日、阪神甲子園球場、細川卓撮影
(20日、高校野球 天理13―9明豊)
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打った瞬間に拳を突き上げた。打球は放物線を描き、左中間スタンドへ。20日の準々決勝で、天理(奈良)に敗れ、初の4強入りを逃した明豊(大分)。九回、驚異の粘りを見せ、大会史上初の代打満塁本塁打を放ったのは、けがで守備につけず、代打だけに賭けてきた選手だった。
10点差で迎えた九回。連打と四球で無死満塁に。スタンドがどよめく。三好泰成(たいせい)君(3年)は、川崎絢平(じゅんぺい)監督から八回の時点で「投手の打順まで回ったら行くぞ」と言われていた。「中途半端なスイングだけはするな」と送り出され、「まだ追いつける」と信じて打席に向かった。
2ストライクと追い込まれたが、4球目をバットの芯でとらえた。「高校野球人生で、一番気持ちよかった」。ダイヤモンドを回りながら、アルプススタンドに向かって、何度もガッツポーズをした。
1年の夏ごろ、右ひじに痛みが出た。送球もできないほどの痛み。原因はわからないが、日常生活でも痛み、ノックにも参加できなくなった。
でも野球をあきらめようとは思わなかった。「送球ができない自分には打撃しかない」。ほかの選手の打撃の良いところを探し、盗んだ。寮のトレーニング室に朝からこもって筋力を鍛えた。長打力はチーム一、二を争うほどになった。川崎監督に「代打の切り札」と認められた。
甲子園での試合出場は、父正人さん(50)と兄功起(こうき)さん(22)が果たせなかった夢だ。正人さんは松山商(愛媛)出身。3年の1984年、チームは春夏連続で甲子園に出たが、ベンチ入りできなかった。功起さんも2012年夏に飯塚(福岡)の選手として甲子園の土を踏んだが、試合には出られなかった。
「甲子園で試合に出ることは親子3人の目標」と臨んだ13日の坂井(福井)戦。三好君は、代打で出場したが「甲子園の雰囲気にのまれて」三振。18日の神村学園(鹿児島)戦は、十二回2死一、二塁で起用され、四球を選んで逆転劇につなげた。
20日の天理戦の前夜、功起さんから「胸張って一生懸命試合して、打ってこい」と電話があった。つらい時は、功起さんにもらった「夢叶(かな)うまで挑戦」と書かれたグラブを見て気持ちを奮い立たせてきた。「結果を出さなきゃ恩返しじゃない」
甲子園3度目の打席で、会心の一打を放った。見守った功起さんは「3年間の努力のたまものです」とたたえた。
明豊は4点差まで追い上げたものの、及ばなかった。三好君は「親にもお兄ちゃんにも恩返しできた。今まで野球をやってきてよかった。やりきった気持ちだけです」と語った。(前田朱莉亜)