紛争が長引くアフガニスタンで、避難生活を送る人の数が最近急増している。トランプ米大統領は8月、米国のアフガン新戦略を発表。米軍の駐留を続ける方針を示したが、悪化し続ける治安は、経済や教育などにも影を落とす。タリバーン政権崩壊から年末で16年。「自立」への道はなお険しい。(カブール=乗京真知)
家財を積んだトラックが砂煙を上げ、アフガン東部の山道を走る。「母国は38年ぶりだ。まずは仕事がほしい」。7月初旬、ムハマド・ジャン・カーンさん(50)はパキスタン北西部の難民キャンプを離れ、家族とアフガンに戻った。当面は親戚の元に居候する。
道すがら首都カブールにある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民センターに立ち寄った。家族10人を帰還民として届け、1人約200ドルの支援金を受け取った。「パキスタンで生まれた子供たちは言葉が通じない。学校に通えるだろうか」
1979年のソ連軍侵攻やその後の内戦などで、アフガンからパキスタンへの難民流出は40年近く続いてきた。ところが昨年中ごろから人の流れが逆転。パキスタン政府がアフガンとの外交関係の悪化を理由に難民キャンプの閉鎖を始め、昨年だけで約37万人がアフガンに押し返された。
パキスタンには、なお約140万人のアフガン難民が残る。難民の数としては世界第2位の規模だが、戦闘が続くアフガンへの帰還を迫られている。
難民センターで働くグル・モハマド・ファナさん(33)は「6月には多い日で200世帯が訪ねてきた。家や働き口があるわけでなく、社会問題になっている」と話す。アフガン政府によると、人口が集中する都市部では住民の7割超がスラム街で暮らす。
国内避難民も2年間で倍増し、過去最多の約180万人に達した。反政府勢力タリバーンや過激派組織「イスラム国」(IS)と政府軍との戦闘が全34州のうち20州以上に拡大しているためだ。民間の死傷者数は昨年1万1千人を超え、記録が残る09年以降で最多となった。
中部ガズニ州の農夫アブドル・…