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玉砕72年、野ざらしの島 遺骨収集の写真家が見た南洋

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-9-5 15:59:25  点击:  切换到繁體中文

 

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骨上げを手伝う島の子どもたち=写真集「インドネシア戦跡巡礼」から


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太平洋戦争の激戦地だったニューギニア北西部のビアク島(インドネシア)。NPO法人・太平洋戦史館(岩手県奥州市)の一員として遺骨収集活動に参加してきた写真家の安島太佳由(やすじまたかよし)さん(58)=東京都練馬区=が今夏、写真集「インドネシア戦跡巡礼」を自費出版した。戦後72年を経てもなお、野ざらしになったままの白骨化した遺体。赤道直下の島で起きた戦争のむごさを写真は伝える。


特集:戦火の残響


【写真特集】戦火の残響、南洋を巡る旅


「死者は自分の口で無念さを語ることができない。私たち生きている人間が、聞き取って伝えないといけない」と安島さんは語る。


砂浜と熱帯雨林に囲まれたビアク島。日本の「絶対国防圏」にあり、日本軍は1943(昭和18)年に上陸。飛行場の建設を進めた。


翌44年、連合軍と激戦となり、1万人以上が戦死したとみられる。兵士は東北出身者が多かったとされ、生還できたのは約500人という。


安島さんは2009年、11年、14年、15年とこれまでに4回、島を訪ねた。


気温30度を超える熱帯地域。あちこちで見つかる日本兵の白骨化した遺体を見たとき、噴き出る汗をぬぐいながらも寒気を感じた。洞窟には、焦げてへしゃげたドラム缶も散らばっていた。約2千人の兵士が入れる広さだったが、連合軍は火のついたドラム缶を投げ入れ、洞窟内はたちまち火の海になったという。


集められた遺体は法医学鑑定のもと、日本兵かどうか確認。そのあと洗骨を施し、荼毘(だび)に付され、遺骨となる。「ビアク島はまさに『玉砕の島』だった。青い空と美しい海も彼らにはぼんやりと見えただけだろう。島に残された日本兵は、今も救援を待ち続けているのではないか」と安島さんは話す。



写真集は30ページで1300円(税込み)。問い合わせは安島写真事務所(090・1030・6827)。(編集委員・小泉信一)




 

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