左から近藤亜美選手、中谷雄英氏、真田久・筑波大教授
2020年東京五輪の1千日前イベントとして、日本人初の国際オリンピック委員会(IOC)委員で柔道の創始者である嘉納治五郎と、幻と言われる1940年を含めた三つの東京五輪(64年、2020年)に関するシンポジウムが28日、東京都内であった。
アジア初開催となるはずだった40年五輪の招致活動で、主導した嘉納の主張をパネリストの真田久・筑波大教授(61)が披露。「クーベルタン男爵は世界の文化にするために五輪を始めた。アジアで、東京で開催することで五輪は世界の文化になる」。嘉納の死後、日中戦争などの影響で日本政府は開催を返上したが、「嘉納先生が生きていれば、40年五輪はあったかも知れない」と話した。
嘉納が始めた柔道が初採用された64年東京五輪軽量級金メダルの中谷雄英氏(76)は、試合の映像が流された後に思い出を語った。
「代表に選ばれた時は泣くほどうれしかった。合宿中は『国民の血税で強化されているということを忘れるな』と指導されたが、当時は肉など特別な日にしか食べられない時代。おいしいものが食べられる。そのために頑張った。優勝した時はやっと自分の任務が終わった、と思った」
20年東京五輪を目指す現役の代表として発言したのは、リオデジャネイロ五輪女子48キロ級銅メダルの近藤亜美選手(22)。「嘉納先生が柔道を世界に広めてくれて今の自分がある」とし、中谷氏の発言には「私の環境とは全く違う。壮絶だったんだな、と思う。肉は勝ってなくても食べさせてもらっています」と笑いを誘った。(竹園隆浩)