原爆をくぐり抜けて残った能面(饒津神社提供)
被爆地・広島の爆心地近くにありながら、焼失せずに残った広島藩主・浅野家ゆかりの能面や能装束など約120点が現存していることがわかった。これらは戦後、厳島神社(広島県廿日市市)に奉納され、保管されていた。もともと所蔵していた饒津(にぎつ)神社(広島市東区)が一般展示も視野に、新たに収蔵庫を建設する計画を進めている。
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現存しているのは能面34点、能装束4点のほか、扇や頭巾、帯など。これらは1924年に浅野家の藩主をまつる饒津神社に寄贈されたもので、当時は浅野家の庭園だった名勝「縮景園」(同中区)内の観古(かんこ)館に保管されていた。
縮景園史(広島県教委編)などによると、45年8月6日、爆心地から約1・3キロの縮景園も原爆の被害を受け、観古館は焼失した。損傷を免れた経緯は不明だが、一部の能面や能装束を饒津神社が46年に厳島神社に奉納したという。
その後、2010年に厳島神社は饒津神社への返還を決定。現在は県外の施設で保管されているが、饒津神社は浅野家初代藩主、長晟(ながあきら)の広島城入城400年を19年に控え、記念事業の一環として、これらを展示できる収蔵庫の建設を計画している。記念事業委員会の委員長を務める茶道・上田宗箇(そうこ)流の上田宗冏(そうけい)家元は「広島にこうした品が残っているのは歴史的な意味がある」と話す。
広島県の能文化に詳しい神戸女子大の樹下文隆(きのしたふみたか)文学部教授は「戦前、能どころだった広島のイメージを語ることができる資料。こうした能面や能装束が残されていたのは、大きな価値がある」と評価している。(北村浩貴)