東京ミッドタウンでのイベントに登場したアンダーソン
車いすの片方の車輪を持ち上げて手を伸ばすパスカット、正確な3点シュート、ゴール下でのノールックパス。11月25日午後、来日中の東京都内のイベントで披露した鮮やかなプレーの数々に歓声が上がる。
「世界中のすべての選手が憧れ、目標にする選手」。車いすバスケットボール元日本代表の根木慎志さんは彼をそう評した。
可能性があると知って道が開けた
パトリック・アンダーソン(38)。カナダ代表に入ってから約20年、パラリンピックで三つの金メダルに貢献したエース。今もなお現役で20年東京大会を目指す、車いすバスケットボール界のレジェンドだ。
アイスホッケーが大好きだった9歳のころ、飲酒運転の車にはねられ、両足のひざから下を失った。1年後、通っていた小学校の校長先生の勧めで参加したスポーツのキャンプで車いすバスケットと出会った。
「脚を失ってから、友達を追いかけるのに必死だった。初めて先頭を切って走れた」。キャンプでは1988年ソウルパラリンピックの代表選手を聞く機会もあった。
「パラリンピックというのがあって、自分には出られる可能性があるんだと知って、道が開けた」
アンダーソンが代表入りしてから、カナダは黄金時代を築いた。パラリンピックは00年シドニー、04年アテネで連続金メダル。06年世界選手権も初優勝した。08年北京パラでは銀だったが、12年ロンドンでは世界一に返り咲き、自身三つ目の金メダルをつかんだ。
マイケル・ジョーダン(MJ)を目指す
「視野を広げたい」とロンドン大会後に代表を離れ、妻との音楽活動や息子と過ごす時間を優先した。昨夏のリオデジャネイロ大会は代表入りを断った。だが「引退するつもりはなかった」。カナダ代表の練習相手になったり、クラブチームでプレーしたりして、競技から離れたことはなかった。
そして今年、カナダ代表に復帰。現役で東京パラリンピックを目指すことを宣言した。「カナダ代表には若手がたくさん入ってきた。その子たちと一緒にプレーしたい、自分が貢献できるうちはプレーしたいと思うようになった」という。
トップ選手として歩んできたこの20年は、パラスポーツへの理解が広まった時代と重なる。「カナダでも昔はパラリンピックは『障害者が仲良く集まってスポーツを楽しんでいる』と思われていたかもしれない。徐々にれっきとしたスポーツのイベントだと理解されるようになってきた」
でも、まだ満足していない。「自分がアスリートとして認められたか、今も答えは出ていない。自問自答し続けている」という。「自分は車いすの選手としてトップを目指しているんじゃない。目標はマイケル・ジョーダンであり、(米プロバスケットボール協会のスター選手)ステファン・カリー。そのレベルを常に追いかけているから、ここまで続けられている」
健常者もパラスポーツに関われる環境を
自身は事故後1年という早さで競技に出会えたこと、そしてカナダでは幼いころから健常者も一緒に車いすバスケットを楽しめる環境が整っていたことが幸運だったと振り返る。
「対等に競えるから健常者より劣っているとも感じず、自信が持てた」。だから東京パラのあとの日本にも「健常者もパラスポーツに関われる環境を」と期待を寄せる。
開幕まであと1000日を切った東京パラでの目標を問うと、「開会式で音楽のパフォーマンスをしたい」とおどけたあと、真剣な表情になった。
「本当は金メダルと言うべきなんだろうけど、世界の車いすバスケットのレベルは昔に比べて上がっている。どのメダルでも、うれしいのが本音です」(伊木緑)