西東京大会の表彰式で準優勝杯を受け取る早稲田実の清宮幸太郎主将=7月30日、神宮球場
取材ノートから
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曇天の神宮球場が、高校野球ファンのどよめきで包まれた。7月30日午前11時過ぎ。西東京大会決勝の試合開始約2時間前に入場券の完売がアナウンスされからだ。詰めかけた観衆は3万人。東京の高校野球にとって、異例ずくめの一年を象徴する光景となった。
話題の中心は早稲田実の清宮幸太郎選手。高校最後の年は「清宮フィーバー」と言える日々だった。
清宮選手には2度目の甲子園だった春の選抜大会。初戦で明徳義塾(高知)に競り勝ったものの、2回戦で東海大福岡に逆転負け。この大会は9打数3安打0打点に終わり、「ふがいない。この負けを無駄にするわけにはいかない」。
春季都大会では、ナイターで行われた日大三との決勝で2打席連続本塁打を放つなど、35年ぶりの優勝に貢献。高校通算本塁打の記録更新へカウントダウンが始まった。6月4日の愛知での招待試合で通算100本塁打に到達。「すごいことなのか、あまり実感はないです」と照れ笑いを浮かべた。
夏の東・西東京大会の開会式では、選手宣誓を務めた。「私たちは野球を愛しています」と切り出した。乳がんを患って6月に亡くなったキャスターの小林麻央さんの言葉から着想を得たという。本塁打の量産だけでなく、豊富な語彙(ごい)が印象的な18歳に密着しようと報道は過熱。その存在感はライバルにも影響を与えた。昨秋の都大会決勝で清宮選手から5打席連続三振を奪い、高評価を得た日大三の桜井周斗投手=DeNAに入団=は「清宮が同じ学年にいることがモチベーションになったし、同じ主将という立場なので、清宮の言葉を見習うこともあった」と話す。
清宮選手が取材に応じる間、他の選手は待機を強いられることが常だった。多感な年頃には不満に思うことがあったかもしれない。かつてフィーバーの渦中にあった早稲田実OBの荒木大輔さんは、「騒ぎになっても、独りにはならなかった」と当時の野球部員や同級生らの存在の大きさを語っていた。今年の早稲田実も、主将としての清宮選手の統率力や、主将を支えるチームメートの発奮で固い結束を見せた。
西東京大会準決勝で通算107本目の本塁打を放って最多とされた記録に並んだものの、決勝は東海大菅生に敗れ、再び甲子園の土を踏むことはなかった。それでも背番号3は銀メダルを胸に「みんなついてきてくれて、準優勝ですが、日本一のチームだと思います」と涙した。
その後、U18(18歳以下)ワールドカップの日本代表として、通算本塁打を111本まで伸ばし、日本ハムからドラフト1位指名された。直後の記者会見。早稲田実での年月をこう振り返った。「たくさんいい仲間ができました。みんなに出会えたことが、自分の中ですごくうれしかった」。その表情は、すがすがしかった。(辻健治)