学園前での熱心な応援は箱根駅伝の名物となっている(箱根恵明学園提供)
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東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のテレビ、ラジオ中継で、必ずと言っていいほど紹介される児童養護施設がある。往路5区と復路6区のコース沿いで、芦ノ湖から8キロの距離にある「箱根恵明学園」。保護者の虐待や経済的な問題で、正月も家に帰れない子どもたちが、毎年山に挑む選手たちを励ましてきたが、来年に学園が移転することが決まった。「特等席」で応援できるのはあと2回だ。
特集:箱根駅伝2018
「箱根恵明学園前を通過」
「○○大学がただいま、箱根恵明学園前を通過しました」。おなじみのこのフレーズは、NHKのラジオ中継が始まった1950年代にさかのぼる。
往路5区フィニッシュの芦ノ湖まで8キロの場所にある箱根恵明学園=神奈川県箱根町
東京都世田谷区で乳児院として発足した学園が、この地に校舎を開設したのは49年。往路は山登りで知られる最終5区の13キロ地点、山下りの復路6区では7・9キロ地点に位置する。周囲には民家などもないことから、長年、各大学の通過時間や、前後の大学との差を測定する地点となってきた。
箱根駅伝コース
ベニヤ板の手書き看板
戦後間もない開設当初、施設にいたのは戦災孤児が中心だった。戦争で家族が散り散りになった子や、米軍兵士と娼婦(しょうふ)との間に生まれた子など、身寄りのない子どもたちが目の前を走る国道1号の沿道に立ち、山登りや山下りに挑むランナーに声援を送った。
レース中には大学名が書かれた手作りの応援看板をフェンスに張り出す(箱根恵明学園提供)
「当時は家族や親戚を探す、という意味合いも強かったんだと思う。放送されることで、所在がわかってくれればと、取材にも来てもらっていた」と田崎吾郎理事長(64)は語る。
学園の応接室には、かつて学連選抜として箱根駅伝の6区を走った川内優輝選手(埼玉県庁)のサインが飾ってある=箱根町小涌谷
学園側は応援に来る家族や報道陣に駐車場を提供。ベニヤ板を使った手書きの大学名看板や各大学から預かったのぼりを立て、豚汁などもふるまった。取材クルーからは「トイレもあって、雨もよけられる」と好評で、家に帰れない子どものインタビューや施設の紹介が中継に盛り込まれることもあった。87年に日本テレビがテレビでの生中継を始めてからは、露出がさらに増えた。全国の施設の会合の場では、「箱根で有名な恵明学園ですよね」と声をかけられることも。
公務員ランナーの川内優輝選手…