「ソラークマエ」をつくる蒸留所。この日はサトウキビをラム酒にする作業をしていた=1月20日、カンボジア・バタンバン州、堀江麻友撮影
自衛隊が国連平和維持活動(PKO)として初めてカンボジアに海外派遣され、帰国してから25年になる。かつて地雷原だった畑で、元PKO隊員が地元の人たちと独自の芋焼酎を作っていると聞いて、現地を訪ねた。(堀江麻友 堀江麻友)
タイとの国境にあるカンボジア西部のバタンバン州タサエン地区。
元陸上自衛官の高山良二さん(70)=愛媛県砥部町=は、1990年代まで続いた内戦の激戦地の宿舎で1年の大半を過ごす。
92~93年にカンボジアに派遣された。施設大隊の大隊長の補佐役として人事や総務などを担当。2002年に定年退官したが、「やり残したことがある」と3日後にカンボジアを再訪し、元自衛官らでつくる団体の一員として地雷や不発弾処理をするようになった。
11年には認定NPO法人「国際地雷処理・地域復興支援の会」(IMCCD)を松山市に設立。現在はカンボジアの政府機関と協定を結び、処理員による金属探知機での地雷探索や爆破処理などを担っている。
かつては地雷が至るところにあったが、処理が進むにつれて安全な地域が少しずつ増えていった。しかし、内戦で疲弊した住民の生活は苦しいまま。「何とかできないか」と高山さんは悩んでいた。
10年前、目にとまったのが、隣のタイで売るためにトラックに山積みして運ばれていたキャッサバ(イモの一種)だ。住民に聞くと、買い取り価格が実に安い。日本で人気の芋焼酎が頭に浮かんだ。カンボジアに米焼酎はあったが、芋焼酎を作る人はいなかった。「高く売るために焼酎にしよう」と考えた。
一時帰国の際に愛媛の酒造会社…