被災地への思いを語る泉谷しげる=2月22日、東京都目黒区、坂本進撮影
今年で18回目を迎える東北地方最大の野外フェス「アラバキロックフェスティバル」(4月29、30日)。東日本大震災の2011年は、開催断念の危機を乗り越えた年として語り継がれている。「あの時、開催できたことは本当によかった」。震災から7年。当時のアラバキに出演し、様々な被災地で歌を届けてきたミュージシャン泉谷しげるが当時を振り返った。
特集:120日後のフェス 震災の年のアラバキ
「大変な時こそやらないと意味がないと思うタイプなんだ。こっちから出かけて行って、みんなに会って『おい!大丈夫か!』ぐらいの声はかけないとね。日頃からお世話になっているわけだからさ」
雲仙普賢岳噴火(1991年)、北海道南西沖地震(93年)、阪神大震災(95年)などで独自に慈善ライブを展開してきた。最近でも、宮崎県で、口蹄疫(こうていえき)や新燃岳の噴火災害からの復興を応援するために野外イベントを企画したり、14年の阿蘇山の噴火による風評被害をなくそうと熊本県でフェスを開いたり……。苦境にある人の元へ音楽を届けることに尽力してきた。
「ロックは現実逃避なんだ。転んだ子どもに母親が『痛くないよ』と言ってさするのと同じ。ある種の暗示でもって、痛みを一時的にどう忘れさせるかなんだよ」。だからこそ、震災の年にアラバキを開き、被災者に向けて歌を届ける意味は大きかった、と語る。
主催者側は資材不足に悩んだ。ステージの照明や音響に使う発電機は、東北や関東ではほぼ調達不可能で、他地域で探し回るなどした。当初の4月開催こそ断念したが、関係者の奔走もあって、その年の8月開催にこぎつけた。
そんな過程を経て開催されたフェス。「会場は『生き残っているぞ俺たち』という空気が漂っていた。俺も調子こいて『てめえらには、俺がついている』ってわけのわからないことも言ってたな」
ステージで泉谷は、代表曲「春夏秋冬」を歌い上げた。
♪今日ですべてが終わるさ/今日ですべてが変わる/今日ですべてがむくわれる/今日ですべてが始まるさ
72年に作られた曲が、震災の文脈で力強いメッセージを伴って、会場に鳴り響く……。
「自分がはく言葉に観客が全力で反応する独特の空気感があった。一つ一つに大事に耳を傾けてくれる観客。下手なことできないプレッシャーがすごくあった。過去何度か出演しているが、11年のアラバキは全く違うものがあったんですよ」(河村能宏)