女川一中登り口へ避難し津波を見つめる人々=1960年5月24日、女川町提供
東日本大震災の約50年前、1960年に東北沿岸をチリ地震津波が襲った。残された当時の白黒写真を人工知能(AI)でカラー化。「解凍」された記憶をたどると、東日本大震災と似た光景が浮かび上がった。「だいぶスローに押し寄せてきたんですよね。だからのんびりしていた」。宮城県女川町の男性が語る津波の証言には、現代にも通じる教訓があった。
道にがれきが散らばり、船が陸に打ち上げられている写真。チリ地震津波直後のものだ。正面には「大福堂」という看板。その奥には「火の用心」と書かれたやぐらが写っている。
津波直前にこの場所にいたと証言してくれたのは、女川町の鮮魚店「岡清」の会長、岡誠さん(73)だ。
「大福堂さんはこの前あたり。大福堂さんあって、消防署がそのとなりにありましたよね、そう、これ」
岡さんは写真を見ながら当時の様子を語った。
「津波が来る30分前にはここを通りましたから」。
撮影した場所は、現在の女川駅前商店街に近い海沿い。今もそこに立ってみると、遠くに見える山並みが写真のそれと重なる。
当時、岡さんは高校1年生。津波が来る直前に自転車でこの場所を通ったという。道路から見える海は引き潮で底があらわに。岡さんは怖くなり、急いで家に帰った。
「この自販機のあるあたりに店舗兼住宅があったんですよね。昔はそこ、ずいぶん高い感じだったんですよ。あそこにみんな近所の人は逃げましたね」
帰宅した岡さんはすぐに家族と近くの裏山へ。ただ、チリ地震津波では周囲の人々に切迫した雰囲気はなく、津波が来てから避難をはじめて無事だった人もいたという。
「30センチくらいずつ、グッグッグッて上がってきてだいぶスローに押し寄せてきたんですよね。だからのんびりしていた」
しかし、裏山から見た景色に目を疑う。
「小舟などが津波と一緒に流されて来て。ただびっくりして、ああ、ああって感じで。自宅が津波にのみ込まれるのを、ただあぜんとしてみてました」
裏山から濁流を見つめる人々の写真(女川町提供)があった。その写真には、津波にのみ込まれる岡さんの実家がしっかりと写っている。
そして、7年前の東日本大震災。
当時、岡さんは経営する鮮魚店にいた。地震で店の前の歩道のれんがが跳ね上げるのを目の当たりにし、岡さんは「これまでの地震とは違う」と直感したという。
「歩道のれんがが1メートル、2メートルの弾んだんですよ。それ見たときに『今までと全然違う』と」
岡さんは、チリ地震津波の時に避難した裏山ではなく、より高い山の上に逃げた。女川町では、東日本大震災の津波は最大で34メートルの高さに到達。チリ地震津波で岡さんが逃げた裏山にも水が押し寄せた。
岡さんは「まず逃げる。防潮堤を作ったから大丈夫だとか、ここに逃げたから大丈夫だとかあんまり考えないで、まず安全なところに逃げると。それが一番大事ではないかなと思いますね」
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