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50年前の津波、カラー化で記憶解凍「のんびり」の理由

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-3-11 20:38:01  点击:  切换到繁體中文

 

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女川一中登り口へ避難し津波を見つめる人々=1960年5月24日、女川町提供


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東日本大震災の約50年前、1960年に東北沿岸をチリ地震津波が襲った。残された当時の白黒写真を人工知能(AI)でカラー化。「解凍」された記憶をたどると、東日本大震災と似た光景が浮かび上がった。「だいぶスローに押し寄せてきたんですよね。だからのんびりしていた」。宮城県女川町の男性が語る津波の証言には、現代にも通じる教訓があった。


道にがれきが散らばり、船が陸に打ち上げられている写真。チリ地震津波直後のものだ。正面には「大福堂」という看板。その奥には「火の用心」と書かれたやぐらが写っている。


津波直前にこの場所にいたと証言してくれたのは、女川町の鮮魚店「岡清」の会長、岡誠さん(73)だ。


「大福堂さんはこの前あたり。大福堂さんあって、消防署がそのとなりにありましたよね、そう、これ」


岡さんは写真を見ながら当時の様子を語った。


「津波が来る30分前にはここを通りましたから」。


撮影した場所は、現在の女川駅前商店街に近い海沿い。今もそこに立ってみると、遠くに見える山並みが写真のそれと重なる。


当時、岡さんは高校1年生。津波が来る直前に自転車でこの場所を通ったという。道路から見える海は引き潮で底があらわに。岡さんは怖くなり、急いで家に帰った。


「この自販機のあるあたりに店舗兼住宅があったんですよね。昔はそこ、ずいぶん高い感じだったんですよ。あそこにみんな近所の人は逃げましたね」


帰宅した岡さんはすぐに家族と近くの裏山へ。ただ、チリ地震津波では周囲の人々に切迫した雰囲気はなく、津波が来てから避難をはじめて無事だった人もいたという。


「30センチくらいずつ、グッグッグッて上がってきてだいぶスローに押し寄せてきたんですよね。だからのんびりしていた」


しかし、裏山から見た景色に目を疑う。


「小舟などが津波と一緒に流されて来て。ただびっくりして、ああ、ああって感じで。自宅が津波にのみ込まれるのを、ただあぜんとしてみてました」


裏山から濁流を見つめる人々の写真(女川町提供)があった。その写真には、津波にのみ込まれる岡さんの実家がしっかりと写っている。


そして、7年前の東日本大震災。


当時、岡さんは経営する鮮魚店にいた。地震で店の前の歩道のれんがが跳ね上げるのを目の当たりにし、岡さんは「これまでの地震とは違う」と直感したという。


「歩道のれんがが1メートル、2メートルの弾んだんですよ。それ見たときに『今までと全然違う』と」


岡さんは、チリ地震津波の時に避難した裏山ではなく、より高い山の上に逃げた。女川町では、東日本大震災の津波は最大で34メートルの高さに到達。チリ地震津波で岡さんが逃げた裏山にも水が押し寄せた。


岡さんは「まず逃げる。防潮堤を作ったから大丈夫だとか、ここに逃げたから大丈夫だとかあんまり考えないで、まず安全なところに逃げると。それが一番大事ではないかなと思いますね」



チリ地震津波当時の写真に関する情報をお寄せください。情報はKHBの電話(022・276・8111)かメール(khbnews@khb―tv.co.jp)へ。KHBのツイッター(


https://twitter.com/HodoKhb/


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)では、ほかにもカラー化した写真を掲載しています。(KHB東日本放送・佐藤岳史、佐藤久元)




 

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