一時競技から離れた間に、子どもにパラアイスホッケーを教える上原大祐(左)=2014年11月、岡山市
平昌パラリンピックのパラアイスホッケー日本は1次リーグ敗退が決まったが、中心選手の上原大祐(36)=NEC=には、残り試合にも大事な意味がある。一度は競技を離れながら、障害がある子どもへの強い思いを胸にリンクに戻ってきた。「スポーツを楽しむ姿を見せて、子どもたちに自分もやりたいと思ってほしい」
特集:平昌パラ
2010年バンクーバー大会。自身の決勝点で強豪カナダを下し、銀メダルを獲得した。その後、世界最高峰のリーグがある米国へ渡った。子どものクラブの練習に参加し「障害のある現地の子どもがたくさん、笑顔でスポーツを楽しんでるんですよ。そんな環境、日本にはない」。そこで思った。「自分が役に立てるんじゃないか」
帰国後、引退を表明した。背番号と、ひときわ小さな体から付けられた米国でのニックネーム「ミニ」にちなみ、NPO法人「D―SHiPS32(ディーシップスミニ)」を立ち上げた。講演で全国を飛び回り、パラスポーツの体験会も開催。特別支援学校にボッチャの道具を贈る活動もしてきた。
ただ、ふれあう子どもたちから何度も言われた。「大ちゃんはパラリンピックに出ないの?」。昨夏、平昌パラリンピック出場をかけた戦いを控えていた日本チームの中北浩仁(こうじん)監督からもラブコールを受けた。「現役じゃないと伝えられないこともあるよな」。戦う姿を見せるため、復帰を決めた。
半年あまり、NPOの活動の合間を縫ってトレーニングに励んだ。平昌では攻守の要としてプレーする。順位決定戦も合わせ、残すは3試合。「(13日の)チェコ戦は新しいスタート。残りは全部勝って帰りたい」。スポーツの喜びを伝えるための戦いは続く。(菅沼遼)