事故発生時刻に合わせ、もくとうを捧げる人たち=2018年4月25日午前9時18分、兵庫県尼崎市、金居達朗撮影
JR宝塚線(福知山線)脱線事故から13年を迎えた25日午前9時18分、雨がやんだ兵庫県尼崎市の事故現場を快速電車が警笛を鳴らして通過すると、線路沿いに並んだ遺族や負傷者が手を合わせ、JR西日本の社員らが一斉に頭を下げた。
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まだ小雨が降りしきる早朝から、事故現場には多くの人が訪れた。
3両目から投げ出され、出血多量で一時は心停止した玉置富美子さん(68)=兵庫県伊丹市=は事故後、20回以上の手術を受け、今も後遺症に苦しむ。「外見ではわからないが、今も痛みが残っている。他人に理解されないのがつらい」
昨年12月の新幹線台車亀裂問題については「事故は私たちの生活の全てを変えた。教訓として残らなければ、何だったのだろうか」と涙ながらに語った。
長女の中村道子さん(当時40)を亡くした藤崎光子さん(78)=大阪市城東区=は「娘の姿は見えないが、『私、子育てしたいよ。天国になんて行っていられないよ』と語りかけられているような……」と言葉を詰まらせた。
台車亀裂問題については「危険を知りながら会社に報告できない雰囲気は変わっていない。安全で社員が働きやすい会社になってほしい」と話した。
現場近くのホールで開かれた追悼慰霊式では、2組が献奏・献唱をした。
短大に入学したばかりだった甥(おい)の上田昌毅さん(当時18)を亡くした木下和子さん(58)=神戸市東灘区=は、長女の裕梨さん(28)と祭壇前に立った。和子さんは事故翌日に遺体と対面した時を振り返り、「いまだに信じられない」と述べた。裕梨さんは、昌毅さんに似た人を見かけると今でも声を掛けそうになるといい、「二度と悲惨な事故を起こさないでください」と訴えた。その後2人は「苦しんでいる人が前を向いて歩いていけるように」と、一青窈(ひととよう)さんの曲「ハナミズキ」を歌った。
この日、事故発生とほぼ同じ時刻に現場を通過した快速電車では、再発防止を誓う車内放送が流れた。「この事故を心に刻み、安全運行に努め、改めてお客様から安心と信頼をいただけるよう、全力をあげて取り組んで参ります」
この電車の1両目に乗った兵庫県宝塚市の会社顧問、吉富崇行さん(69)は「13年前、事故を起こした列車の一つ前の快速に乗って通勤した」と回想。「外国では交通機関が遅れるのは当たり前でも、日本では許されない。そんな厳しさが悪い方に出た事故だったと思う。JRには遅れないことより、安全を第一にしてほしい」と話した。