事故現場を訪れ献花を終えた中村海里さん=2018年4月25日午前9時30分、兵庫県尼崎市、金居達朗撮影
あの日、いつものように玄関先で見送ってくれた母。もう一言でも多く話していたらよかった――。中学3年生だった13年前、JR宝塚線(福知山線)脱線事故で母を亡くした中村海里(かいり)さん(27)は、毎年春になるとそう思う。仕事も軌道に乗り、家庭を築こうとするいま、母なら何と言葉をかけてくれるだろうか。
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海里さんは25日、現場を訪れ、事故が起きた午前9時18分に黙禱(もくとう)した。思い出すのは母・道子さん(当時40)の笑顔。「(母に)会いたい気持ちは変わりません」と語った。
4月上旬の朝、大阪市中央区の居酒屋「ながほり」。海里さんは仕込み作業に追われていた。「ホタルイカ、2人でやってほしい」「氷入れて」。スタッフに指示しながら、手際よく菊菜を湯通しした。
大学進学後、父の重男さん(60)が営む「ながほり」でアルバイトを始めた。3年生の時に店を継ぐと決め、卒業後は農家や酒蔵、日本料理店で修業した。一昨年から料理人として重男さんとともに腕を振るう。
事故の前夜、道子さんは、受験…