UZUZ社長の今村邦之は、やさしい笑顔の持ち主である。「ここが、わが社の入り口です」
引きこもりの就職を支援する人材ベンチャー「UZUZ(ウズウズ)」。今村邦之(31)が2012年にここを起業した理由、それは、「短期離職」に追いこまれた企業社会からの仕打ちにあった。
3週間ぶりの出社 私物は段ボールに
引きこもり、鳴らない電話が鳴った 「逃げちゃだめだ」
うまれも育ちも鹿児島。日本の大学受験に全滅し、高校卒業から2カ月後、米アラバマ州の大学に入り、マーケティングを学ぶ。飛び級で3年半で卒業し、日本に帰ってきた。
大学4年生とともに就職活動。「米国の大学卒」という経歴が輝いたのか、大企業からつぎつぎに内定をもらう。でも、香水などをあつかう社員100人ほどの会社に。米国で起業へのあこがれが芽生え、中堅企業で学ぼうと思った。
担当は、大手ドラッグストアが東日本に展開する店という店に商品を卸すこと、だった。
どの店に行くのも朝8時集合。前泊禁止、飛行機禁止、タクシー禁止、新幹線や特急は自由席。店では、届いた段ボールをあけ、商品を棚に並べる。さらに営業で数カ所まわって東京の会社に戻る。それから電話営業と報告書づくり。仕事が終わるのは日をまたぐことが多かった。
入社して9カ月、東北地方の店で作業中、今村は倒れた。右半身が動かない。でも店の人は言った。「右手はだめでも左手は動く」。左手での作業を終えて会社の同期の社員に連絡、迎えにきてもらった。
東京の大学病院で「ヘルニアからくるしびれ」と診断され、入院。3週間ほどで外出許可をとって会社に顔を出す。今村の私物は段ボールの中に放りこまれていた。おまえはいらん、ということか。
〈かまうもんか。ボクを必要とするところはゴマンとあるんだ〉
ニートから三足のわらじ、そして起業
会社をやめて就活をはじめた。新卒のときとは勝手が違った。面接で、こんなことを言われた。
「9カ月で離職かあ、キミは忍耐力が足りない」「うちの会社もストレスあるよ、大丈夫?」
受けた会社は20を超えたが、アウト、アウト、またアウト。短期離職は悪いことなのか?
就職をあきらめ、今村は「ニート」になった。若年無業者だ。
昼すぎに起きて漫画を読む。夕方は、小学生たちとサッカー。夜、スーパーで値引きされた総菜を買う。半年たったとき、悲しみが襲ってきた。
〈逃げちゃだめだ〉
仕事を探した。なかなか見つからなかったが、ある人材会社に拾われた。
新卒で就職してまもなく会社をやめた「第二新卒」。卒業したが就職した経験のない「既卒者」。そんな人たちの就職支援をする会社だった。ただ、月給は7万円。生活できないので夜はスーパーでバイト、資格をとろうと公認会計士の勉強もはじめる。
三足のわらじは無理だった。会社ではうだつが上がらず、スーパーでは「仕事をなめている」と言われ、会計士試験に落ちた。
会社の業績が落ち込み、社長が「会社をたたむ」と言ってきた。「ボクが事業を受け継ぎます」と今村は答えた。もう職探しはまっぴらだった。
12年2月、今村は25歳で友人と起業した。資本金は、なんとか工面した500万円。何かしたくてうずうずしている若者たち、だから社名は「UZUZ」だ。
短期離職したボクに、ニートになったボクに、企業は冷たかった。引きこもりの就職はもっとたいへんだろう。今村は決めた。
ボクは引きこもりの方々の就職を応援する!
起業から6年、社員は40人ちかくになり、年商は4億円超で続伸中だ。(敬称略)
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いま引きこもっている君へ。君が覚醒すれば迎え入れてくれる会社は、いくつもあります。あせる必要はありません。いつか君に訪れる何かのきっかけを逃さず、一歩を踏み出せばいいのです。
そうそう、今村さんは自分の体験から、こう言っています。「自分は何がしたかったんだ? とか、自分ってまわりからどう見られているんだろう? などと考えなくていいんです」
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中島隆(なかじま・たかし) 朝日新聞の編集委員。自称、中小企業の応援団長。著書に「ろう者の祈り」(朝日新聞出版)、「魂の中小企業」(同)、「女性社員にまかせたら、ヒット商品できちゃった」(あさ出版)、「塗魂」(論創社)。手話技能検定準二級取得。(編集委員・中島隆)