オウム真理教元幹部ら6人の死刑が26日執行され、一連の事件で死刑が確定した13人全員の執行が終了した。
オウム暴走、三つの転機 風呂場の「事故」から始まった
【トピックス】オウム事件、死刑執行までの流れ
坂本一家殺害事件は教団が最初に、外部の人を攻撃した事件。6人が起訴され、全員の死刑が確定した。26日に執行された岡崎(現・宮前)一明(57)、端本悟(51)両死刑囚は実行役としての責任が問われたが、教団内の立場や事件後の行動は異なった。
岡崎死刑囚は山口県内の工業高校を卒業後、建設会社や教材販売会社などを転々とし、1985年に教団に入信した古参信徒。教団で3番目の「解脱者」として「大師」とされた。89年2月には、教団から脱会しようとした元信徒の殺害に関与。坂本一家事件では他の幹部と一緒に、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚から直接、殺害の指示を受けた。
事件直後の90年2月に教団から逃走し、山口県に帰って学習塾を経営。神奈川県警に送った匿名の手紙で事件への関与をほのめかしたこともあったが、警察に対して犯行を認めたのは、95年3月の地下鉄サリン事件の後だった。98年の一審判決では坂本一家事件について自首が認定されたが、「自己保身が目的だった」として減刑されず、求刑通りの死刑に。高裁、最高裁も死刑を維持し、教団元幹部としては最初となる2005年に確定した。
04年には、脱会者の社会復帰に取り組む禅僧と養子縁組。拘置所では、主に花鳥風月を題材に筆ペンで墨絵を描き続けた。18年3月に名古屋の拘置所に移送されてからは、手紙のやりとりを続ける知人女性に「最近は特に思いが強くなりつつある」「一日一日の大切さを、慎重に確認せずにはおれません」と書き、執行を意識している様子がうかがえた。
一方、端本死刑囚は早稲田大に在学中の88年、高校時代の友人が教団に入信したと知り、脱会させようと説得している間に自らも入信。「戦争を止めなければならない」などの理由から出家した。教団内では松本元死刑囚の警護役を担い、教団の武道大会でも優勝していたことから、最後の1人として坂本一家事件の実行メンバーに加えられた。
事件後も教団内にとどまり、松本サリン事件では「警護役」を務めた。公判では教団に対して疑問を抱いていたことを明らかにし、「自分がしっかりしていれば、こんな犯罪はなかった」と述べた。00年の一審判決は「犯行での立場は従属的か追随的だった」としつつも、「事件の概要を認識した後も自らの意思で犯行に加わった」と述べ、死刑を選択。07年に確定した。
坂本一家事件では他に、事件を指示した松本元死刑囚と、実行役だった早川紀代秀、新実智光、中川智正の3元死刑囚の死刑が執行されている。同じく実行役だった村井秀夫元幹部は95年4月に殺害された。
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〈坂本堤弁護士一家殺害事件〉 1989年11月4日未明、オウム真理教幹部ら6人が、教団の被害対策にあたっていた坂本堤(つつみ)弁護士(当時33)の横浜市内の自宅に侵入し、坂本さんと妻の都子(さとこ)さん(当時29)、長男龍彦ちゃん(当時1歳2カ月)を殺害した事件。3人の遺体は新潟、富山、長野各県の山中に埋められ、95年になってようやく発見された。