大阪市北区のフェスティバルホールで2日にあった第100回全国高校野球選手権記念大会の抽選会。その会場の片隅で、群馬代表の前橋育英と宮城代表の仙台育英の旧友同士が再会を喜び合った。福島県の少年野球チームで一緒にプレーしたが、東日本大震災で離ればなれになっていた。
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前橋育英の山野辺凌己(りょうご)君(3年)と、仙台育英の神山翔伍君(3年)、宗形夢輝(ゆめき)君(3年)。3人は福島県いわき市の少年野球チームの仲間だった。
3人が小学4年生だった2011年3月11日、震災が起きた。数日後、東京電力福島第一原発事故への危機感から、家族とともに山野辺君は車で宇都宮市へ避難した。手にはグラブを抱えていた。神山君と宗形君も東京へ逃れた。
山野辺君の一家は、混雑する宇都宮市の避難所からさらに南下。所持金もガソリンも尽きたのが群馬県館林市だった。市内の教会の世話で住まいを確保し、その縁で定住することになった。一方、いったんは東京へ避難した神山君と宗形君は帰郷した。
親同士のつながりで、それぞれ強豪校で野球を続けていることは知っていた。だが、ともにチームが甲子園に出場した昨年は、会う機会はなかった。
2日の抽選会後。山野辺君は広い会場内をキョロキョロしていた。仙台育英の他の選手たちにも、神山君と宗形君を捜すのに協力してもらった。
実は、7年ぶりの再会は前日の1日に果たしていた。兵庫県西宮市の鳴尾浜臨海公園野球場。先に練習していた仙台育英の2人が、入れ替わりで練習にやって来た前橋育英の選手たちの中から山野辺君を見つけて声を掛けた。「久しぶり過ぎて、言葉が出てこなかった」と山野辺君。慌ただしく握手し、少し言葉を交わしただけだった。そのため、どうしても改めて会いたかったのだという。
捜し回った山野辺君がホールの出入り口に向かうと、気づいた2人が歩み寄った。互いに、自然と笑みがこぼれた。山野辺君は「2人も大きくなったなー」。「山野辺は太ってたのに、がたいが良くなったな」と宗形君。3人はその場でLINEの連絡先を交換した。
山野辺君は「覚えていてくれてうれしい。野球を続けていて本当に良かった」。3人は高校最後の夏、ベンチ入りは果たせなかったが、アルプス席からチームを応援する。山野辺君は旗手役で、応援旗を天高く掲げるという。(丹野宗丈)