運送業界の平成を振り返ると、規制緩和の功罪が浮き彫りになる。相次ぐ新規参入で運賃は下がり、インターネット通販も身近になったが、運転手は長時間労働と低賃金に苦しみ、なり手不足に陥った。物流のインフラのいまを通じて、産業のあり方を考える。(編集委員・堀篭俊材)
「3日行程」の長時間労働
国内各地が大雨に見舞われた7月5日夜、静岡県御殿場市の東名高速道路・足柄サービスエリア(SA)に大型トラックが集まってきた。香川、和歌山、京都……。西日本のナンバーをつけたトラックは駐車場に入りきらず、加速車線にもあふれた。
「あと3時間。少し横になるか」。兵庫県姫路市から化学製品を運んできた男性運転手(50)は夜8時過ぎ、運転席後部にある仮眠ベッドに潜り込んだ。肩幅ほどの狭さで、寝返りも打てない。「まるで棺おけで横になる感じ」
東京料金所手前にあるSAで運転手たちが時間をつぶすのは、午前0時以降に高速を出るとETC(自動料金収受システム)の深夜割引を受けられるからだ。浴場やシャワー施設のある足柄SAや鮎沢パーキングエリアは、関西方面から来る運転手たちに人気だ。
長距離トラックのハンドルを握ったのは21歳、平成に入る1年前だった。当時、姫路―東京間の運賃は12万円ほど。1990年の「物流2法」の施行で規制が緩和されると、中小零細業者が多く参入した。安値受注による値引き競争が進み、運賃は約7万円に下がった。
男性がSAで待つことで、姫路から東京までの高速料金約2万円の3割、約6千円が浮く。「会社側から『できるだけ安く走ってくれ』と頼まれれば、こうして待つしかない」
男性はこの日、朝8時に出勤し…