しょうゆは多種多様にあり、香りも味もそれぞれ違う。五感をフル稼働して、延べ2万4千サンプルの特徴を分析した人がいます。
キッコーマン研究開発本部研究員 今村美穂さん
日本の食卓に欠かせないしょうゆには、多様な種類がある。香り、味、色、食感……。さまざまなしょうゆの要素を自らの五感をフル稼働して分析し、それぞれの特徴を見いだす「官能評価」が仕事だ。
グループを含め、国内シェア3割以上を占める最大手のキッコーマン。その野田本社(千葉県野田市)近くの研究開発本部の実験室で、おちょこのような「きき味(み)皿」にサンプルのしょうゆを注ぎ、分析している。しょうゆを使ったつゆなど関連商品を含め、2003年の入社から15年間で官能評価したのは約2万4千サンプルに上る。
自社の製品は、品質を維持するために分析する。実際に売られている商品からサンプルが持ち込まれる。例えば、炭のにおいが普段より強く感じられたら、製造の過程で火入れが強かったかもしれない。消費者には気づかれないほどの微妙な違いを見逃さず、製造工程のどこに問題があるのか推測。製造部門に報告し、製造部門は工程を見直して改善につなげる。他社の製品は、分析した結果を商品開発部門に伝え、新商品の参考になることもある。
皿に10ミリリットルのしょうゆを入れて分析する。香りの場合は、まずふたをかぶせ、15分後にふたを外してかぐ。軽く回してもう一度。綿菓子のように甘いものや、ハーブのように「すーっとする」ものなど、一つのしょうゆに300種類以上あるとされる香り成分から特徴を見いだす。味は、甘み、塩味、酸味だけでなく「とろみがある、ぴりぴりするといった食感も感じとる」。皿の内側に描かれている渦巻きを目安に、色や濃度も評価する。
05年ごろからは、業界初の「フレーバーホイール」作りに取り組みだした。ある食品から感じられる香りや味の特徴を、円形の複数の層に並べてまとめたものだ。ワインやウイスキーなど多くの人に愛される飲み物や食べ物で、消費者らが共通の言語で品質を評価したり、料理との相性を考えたりする際に使われている。「しょうゆの特徴の違いを世界中の人が分かって楽しむことができたら」と考えて始めた。
通常の仕事の合間などにサンプル集めを進め、8年間で中国や韓国、米国など海外の8カ国23銘柄を含めて149銘柄を集めた。これをモニターの一般の人延べ約200人に、30分かけて感じとった特徴を短い言葉で表現してもらい、共通のキーワードを抽出した。そして作業開始から11年後の16年夏、香り、味、風味、食感という4種類の計88の特徴を見いだして体系化した世界共通のフレーバーホイールを完成させた。
今は、この有効性をいかに消費者に伝えていくかを思案中だ。「しょうゆにも実にさまざまな違いがある。家庭にあって当たり前の空気のような存在から、違いを楽しむ存在になれば、おしょうゆファンは増える。食生活も豊かになるし、毎日が楽しくなる」
ワインバーのようにしょうゆの味比べが楽しめる専門店ができたり、料理に合わせて家庭でしょうゆを使い分けたりする――。そんなことが当たり前になる日を夢見ている。(佐藤亜季)
〈いまむら・みほ〉 1978年熊本市生まれ。2003年に九州大院(生物機能科学)修了後、生きるのに不可欠な食の仕事に就きたいとキッコーマンに入社。14年に博士号を取得。1歳5カ月の女児がいる。
平仮名ついた「きき味皿」
きき味皿の側面には、複数のサンプルを識別するために「い」「ろ」「は」と違う平仮名が1字ずつつく。消費者へのモニター調査では、「い」が標準品との印象を与えかねないとして3桁の乱数で識別し始めている。
バイブルは英語の専門書
研究に欠かせないのが、400ページにおよぶ英語の専門書「Sensory Evaluation Practices(官能評価のやり方)」。「日本では遅れている」という官能評価の各種手法や統計の解析方法など、必須かつ基本的なことが網羅されている。入社翌年の04年に購入してから、各所に線をひき、何度も読み返している。「正しい官能評価のためのバイブルです」