夏の甲子園でまた伝説が生まれた。史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打。12日の第3試合で、済美(愛媛)が延長十三回の激戦を制した。100回の球史で数々の名勝負を演じてきた星稜(石川)は今夏も、敗れてその名を刻んだ。
「切れてくれ」満塁弾見上げた星稜 強打刻み壮絶に去る
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星稜の一塁側アルプス席の目の前に高く舞い上がった打球の行方を、4万2千の大観衆が息をのんで見つめた。タイブレークの延長十三回裏無死満塁。浜風にあおられた白球は、吸い寄せられるように右翼ポールを直撃した。
激闘だった。星稜が一回表にいきなり5点を先取。ところが、6点差でリードしていた八回裏に済美が一挙8点を奪って逆転。星稜は九回表に2点を返して同点とし、延長十二回裏1死満塁のピンチは寺沢孝多投手(2年)が連続三振でしのいだ。歓声とため息が何度も入り交じる甲子園。
最後は済美の矢野功一郎君(3年)が「頭が真っ白になった」という逆転サヨナラ満塁本塁打。4万2千人の観客から両チームに温かな拍手が送られた。「これも野球、これも甲子園」と星稜の林和成監督(43)。
石川県かほく市から応援に駆けつけた星稜OBの会社員山口将平さん(23)は「鳥肌が立つようなすごい試合だった。お疲れさまと声をかけたい」。三塁側アルプス席では済美の池内優一主将(3年)の母の祐子さん(47)が「ナイスゲーム!」と千羽鶴の束を握りしめた。
一夜明けた13日、星稜の選手たちは午前6時半に朝食をとり、8時に宿舎を後にした。最後の本塁打を浴びた寺沢投手は「あの場面が思い出されて、全然眠れませんでした」と目をこすった。竹谷理央主将(3年)は「来年、また後輩がここにお世話になると思います。よろしくお願いします」とあいさつした。
星稜は、負けて伝説を残してきた。1979年の61回大会3回戦は箕島(和歌山)と激闘。延長に2度の同点ホームランが飛び出す展開の末、十八回に3―4でサヨナラ負けした。当時指揮を執った星稜の山下智茂名誉監督(73)は「敗れたあとは苦しんで苦しんだ」。勝つための野球から、人を育てる野球に野球観が変わったと振り返る。
92年の74回大会2回戦では明徳義塾(高知)に4番打者の松井秀喜さん(44)が5連続敬遠され、2―3で敗れた。星稜の林監督はこの試合に遊撃手で出場。5度目の敬遠を受けて投げ込まれたメガホンを拾った。「優勝を目指したチーム。負けを受け入れられなくて、号泣はできなかった」
実は野球の神様の「いたずら」がもう一つ。済美の中矢太監督(44)はくしくも明徳義塾出身で、この試合でベンチ入りしていた。「星稜とここで対戦できたことを幸せに思う」。12日もまた、語りつがれる試合になった。「私たちが感じることのできないエネルギーが試合を動かすのか」と林監督。「力がなければできない試合ではある。見ている人に感動を与える負け方も幸せかもしれない」とつぶやいたが、すぐに続けた。「やっぱり、勝ちたい。勝ち続けたかった」(塩谷耕吾)