18日、4強進出をかけて甲子園で済美(愛媛)と対戦する報徳学園(東兵庫)。音楽フェスのような応援スタイル「アゲアゲホイホイ」の元祖としても注目されているが、かつて報徳のアルプス席では、「男くささ」を前面に押し出す応援団がでんと居座っていた。硬派から軟派へ。時代の波に消えた男たちのエレジーに耳を澄ませてみた。
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18日締め切り! 夏の甲子園、歴代最高の試合は? 投票ベストゲーム
1981年8月18日、夏の甲子園第63回大会。報徳学園は、大会屈指の好投手、早稲田実(東東京)の荒木大輔を打ちあぐね、八回を終わって1―4。敗戦ムード漂うアルプス席で、やおら応援団長が厳かにひざまずき、念仏を唱え始めた。副団長がひしゃくで水を1杯、また1杯と浴びせる。劣勢をはね返す儀式、報徳名物「拝み拍子」だ。
霊験あらたか、「拝み拍子」。九回、報徳打線は荒木を打ち込み、同点に。当時、報徳学園中学3年だった大渕徹さん(51)は、鳥肌が立つのが分かった。「とんでもないものを見てしまった」。延長10回サヨナラ勝ち。勢いに乗って全国制覇を成し遂げる。「よし、俺も応援団に入る」
報徳学園応援団は52年、全国大会に出場する柔道部を応援しようと、生徒会の有志が集まって結成したのが始まりという。スタイルはバンカラそのもの。リーゼントヘアに高い襟、長い丈の「長ラン」、太いズボンの「ボンタン」姿。真夏でも汗がしたたる学ラン姿でスタンド狭しと走り回る。水を飲むなど当時は「もってのほか」。太鼓をたたき続ける団員はそのうち手の皮がむけ、手も太鼓もバチも血で染まった。「ベンチやスタンドが負けたと思っても、俺たちだけは勝利を信じる」。大渕さんは、83年春の選抜で逆転ホームランをかっ飛ばした先輩の言葉が忘れられない。「打てる気せぇへんかったけど、お前らが打たせてくれた」
だが、バンカラスタイルは次第に敬遠され、万事を気合で乗り切る気質も時代に合わなくなった。2000年度を最後に約50年に及ぶ歴史の幕を閉じた。
「拝み拍子」の「効果」を目の当たりにしてから29年が過ぎた10年夏。準決勝の興南(沖縄)戦の応援に駆けつけた大渕さんは、またも甲子園で信じられない光景を見た。0―5の劣勢でも沖縄音階の応援に乗って、お祭り騒ぎの興南側アルプス席。3点、1点と追い上げられるほどにシュンとなる報徳側。「応援団がいれば……」。試合は6―5で逆転負けを喫した。
今、報徳学園には拝み拍子の代わりに「アゲアゲホイホイ」がある。しかし大渕さんは「アゲホイを、70歳のおばあちゃんが踊れるかい。俺でも無理や。応援は若い人だけのもんやない」との意見だ。「球場にいる全世代の観客を味方につけ、相手チームに圧力をかけるのが応援、と俺は思うけどなあ……」と少し切なげな表情をみせた。
昨年、元団員を父に持つ生徒が、応援団復活を目指して動いたがかなわなかった。「時代でしょうね」と学校側。だが、校内の倉庫には、伝統の団旗と太鼓が復活の日を待って、今も保管されているという。(秋山惣一郎)