監督として甲子園最多の通算68勝を挙げ、春夏3度の優勝を果たした智弁和歌山の高嶋仁(ひとし)氏(72)が25日、勇退を表明した。記者会見での主な一問一答は次の通り。
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高嶋監督の心残り「大阪桐蔭倒せなかった」 後任に託す
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(冒頭のあいさつで)48年間、高校野球に携わって長いことやってきて、いずれはやめるときが来ると。それがたまたま今になったということですが、やはりノックができなくなったというのが、大きな要因の一つであります。
もう一つは体力的なもの。この年になりますと、色んな病気もあります。最近も色んな薬も飲んでいます。そういう意味では、野球部の生徒に迷惑をかけたかなと。
この第100回大会に出場できたことで、理事長にお願いしていました。もうぼちぼちと、いうことで。
思い返すと、48年間、長いようで短かったように思いますが、悔いが残っているのはいま売り出し中の大阪桐蔭を倒せなかった。これが一番悔いに残っております。これはこれからやってくれるであろう中谷監督に引き継いでほしい。
――48年間で最も印象に残っているシーンは
たくさんありますけど、和歌山に移って初めて甲子園で優勝した選抜ですね。あのときの宇和島東ですね、八回が終わって、0―4。これを九回表にひっくり返して、追いつかれて、延長で勝った。その勢いで決勝までいって優勝してしまった。甲子園で戦う、優勝するためにはこういう戦い方をしたらいいと教えてもらったゲーム。
――甲子園通算最多勝を挙げられた要因は
最多勝と言われるが、あまり気にしていない。僕がやることじゃない。選手がやってくれないと数は増えない。
――高嶋監督にとって、高校野球とはどんなものだったか
ええかっこすれば、自分の人生そのもの。大学卒業して、普通、学校は4月1日から行くものだと思ったが、大学の卒業式終わったその日にきてくれと。そこから智弁学園とのつきあいが始まったわけですから、自分の人生そのものではなかったかなと。