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おなじみの仁王立ち秘話 勝っても負けても貫いた高嶋流

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-8-26 11:43:22  点击:  切换到繁體中文

 

昭和50年代に金属製バットの時代をリードしたのが「攻めダルマ」の蔦(つた)文也・池田(徳島)監督(故人)なら、打撃優位の平成を象徴する存在が「仁王立ち」の智弁和歌山・高嶋仁(ひとし)監督だった。


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奈良から和歌山へ移り、勝てない時期を経て1994(平成6)年春の選抜大会で智弁和歌山を初優勝に導き、96年春にも準優勝。翌97年夏の第79回全国高校野球選手権大会で初の全国制覇を果たす。チーム打率4割6厘は、「KKコンビ」のPL学園(大阪)が第67回大会にマークした4割1厘を更新する当時の大会新記録となった。


99年夏は4強入り、2000年春は準優勝と好成績を続け、同年夏の第82回大会で2度目の頂点に。チーム打率4割1分3厘、通算100安打、11本塁打と当時の打撃記録を軒並み塗り替えての優勝だった。


と言っても、強打一辺倒ではない。走者が出ればバントで送り、相手を徐々に追い込んでいく。この年は終盤の八回に相手投手を打ち崩す試合が目立った。劣勢でもベンチ前のど真ん中に立ち続ける高嶋監督の姿が、「魔曲」と呼ばれたアルプス席の名物応援とともに相手校の脅威となった。


そして甲子園の伝説となった試合が第88回大会(06年)準々決勝。九回表に帝京(東東京)に8点とられて逆転されながら、その裏に5点取り返して13―12でサヨナラ勝ちした。3連覇を目指す駒大苫小牧(南北海道)の田中将大投手(現ヤンキース)が注目された大会。「打倒田中」を掲げ、打撃練習用マシンを球速160キロに設定して打ち込ませた。結果的に準決勝で駒大苫小牧に敗れたが、その成果が出た大逆転劇だった。


打ち込み量は多いものの、野球の基本は守備と、ドクターストップがかかるまでノックを打ち続けた。近年は初の全国制覇時の中谷仁主将(39)をコーチ、大逆転時の古宮克人主将(29)を部長に迎え、教え子とチームを作った。


甲子園のベンチ前でおなじみの「仁王立ち」は、もともとは験担ぎ。「立ったら勝ち始めたから、やめられんくなった」と本人は笑うが、勝っても負けても頑固に続けた。早朝のジョギング、ウォーキングを欠かさず、選手以上に自己管理を徹底した人だから貫けたスタイルでもあった。(編集委員・安藤嘉浩)



 

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