おなじみの仁王立ち秘話 勝っても負けても貫いた高嶋流——贯通日本资讯频道
您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> スポーツ >> 正文
おなじみの仁王立ち秘話 勝っても負けても貫いた高嶋流

昭和50年代に金属製バットの時代をリードしたのが「攻めダルマ」の蔦(つた)文也・池田(徳島)監督(故人)なら、打撃優位の平成を象徴する存在が「仁王立ち」の智弁和歌山・高嶋仁(ひとし)監督だった。


高嶋監督の心残り「大阪桐蔭倒せなかった」 後任に託す


勇退は「ノックできなくなったから」 高嶋監督一問一答


バーチャル高校野球で甲子園の全試合をライブ中継


奈良から和歌山へ移り、勝てない時期を経て1994(平成6)年春の選抜大会で智弁和歌山を初優勝に導き、96年春にも準優勝。翌97年夏の第79回全国高校野球選手権大会で初の全国制覇を果たす。チーム打率4割6厘は、「KKコンビ」のPL学園(大阪)が第67回大会にマークした4割1厘を更新する当時の大会新記録となった。


99年夏は4強入り、2000年春は準優勝と好成績を続け、同年夏の第82回大会で2度目の頂点に。チーム打率4割1分3厘、通算100安打、11本塁打と当時の打撃記録を軒並み塗り替えての優勝だった。


と言っても、強打一辺倒ではない。走者が出ればバントで送り、相手を徐々に追い込んでいく。この年は終盤の八回に相手投手を打ち崩す試合が目立った。劣勢でもベンチ前のど真ん中に立ち続ける高嶋監督の姿が、「魔曲」と呼ばれたアルプス席の名物応援とともに相手校の脅威となった。


そして甲子園の伝説となった試合が第88回大会(06年)準々決勝。九回表に帝京(東東京)に8点とられて逆転されながら、その裏に5点取り返して13―12でサヨナラ勝ちした。3連覇を目指す駒大苫小牧(南北海道)の田中将大投手(現ヤンキース)が注目された大会。「打倒田中」を掲げ、打撃練習用マシンを球速160キロに設定して打ち込ませた。結果的に準決勝で駒大苫小牧に敗れたが、その成果が出た大逆転劇だった。


打ち込み量は多いものの、野球の基本は守備と、ドクターストップがかかるまでノックを打ち続けた。近年は初の全国制覇時の中谷仁主将(39)をコーチ、大逆転時の古宮克人主将(29)を部長に迎え、教え子とチームを作った。


甲子園のベンチ前でおなじみの「仁王立ち」は、もともとは験担ぎ。「立ったら勝ち始めたから、やめられんくなった」と本人は笑うが、勝っても負けても頑固に続けた。早朝のジョギング、ウォーキングを欠かさず、選手以上に自己管理を徹底した人だから貫けたスタイルでもあった。(編集委員・安藤嘉浩)


新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

相关文章

九産大九州を追い詰めた秘策「強力打線、お前がハマる」
中京大中京からライバル校へ移籍 享栄監督、初陣の夏
金足農、逆転サヨナラで初戦突破 「全力校歌」を披露
「2番手投手」、ベース抱えて泣いた夏 棚橋弘至さん
武器は「シンプルに遅い球」 裏をかいた5校連合エース
ベンチ外の3年生・女子部員も入場行進 広島大会が開幕
広島・中村奨成、広陵の試合観戦「まだ始まったばかり」
立ちはだかる「大阪桐蔭」 エースは勝っても唇かんだ
「まだ大人の骨ではない」 球速の高速化がはらむリスク
ある日気づいた監督のつぶやき 主将、チーム変える力に
高校野球、3730チームが出場 連合チームは過去最多
松坂と選抜で対戦、プロ投手の言葉 諦めかけた関大一は
4枚並ぶ銀の盾 「今年こそ甲子園」毎日綴った大商大堺
正々堂々と 101回目の夏も変わらぬフェアプレーを
北北海道が開幕、沖縄は2日連続で雨に泣く 高校野球
前年覇者の大阪桐蔭、初戦は東淀川 高校野球大阪大会
行進後の待機は体育座り 高校野球福岡大会、熱中症対策
101回目の夏の高校野球、あす開幕 南北海道と沖縄で
ベースボールに学ぶもの 花巻東・佐々木監督が米国視察
北の大地に「松坂世代」 PL学園OB、大学4強へ導く
49代表決める地方大会22日から 第101回高校野球
集中力光った富山第一、春の逆転負け生かした 高校野球
近江、逆転サヨナラ弾で決勝へ 試合前じゃんけんに勝機
星稜エース奥川、2カ月ぶりでも150キロ 制球も抜群
大阪代表バファローズ高校? 京セラ、まるで夏の甲子園