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2人の葬儀社・楽団指揮者…北海道地震で亡くなった方々

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-9-13 20:09:17  点击:  切换到繁體中文

 

北海道厚真町吉野の三上昭人さん(54)は、地元の葬儀会社「厚真公益社」で働いていた。17年間机を並べた笠原道徳さん(53)=苫小牧市=は「優しくて明るい真面目な人だった。彼を悪く言う人を聞いたことがない」と話す。


北海道地震 支援情報


【災害INFO】地震が起きたときに役立つ情報など


北海道で震度7、道内の被害状況は


社長の笠原さんと三上さん、2人だけの会社。「肩書こそ社長だったが、仕事に関しては、私が三上さんを頼りにしていた。私が見積もりを間違えて怒られることもあった」


三上さんは食べ歩きが趣味で、新聞や雑誌の切り抜きを持ち歩き、休みのたびに苫小牧市や札幌市などを巡って店の情報を教えてくれた。「どれもおいしい店ばかりでした」


震災直後、笠原さんは何度も電話をかけたが、つながらなかった。吉野地区の大きな被害が判明し、避難者名簿にも三上さんの名前がないことがわかり、胸騒ぎが止まらなかった。「土砂の隙間にうまく入って、助かっているに違いない」と祈り続けた。


後日、三上さんの死亡が確認された。笠原さんは「覚悟はしていたが、本当にショック。葬儀屋という仕事柄、人の死はある程度割り切っているが、まだ気持ちの整理はつかない」と漏らした。


この地震で、三上さんの母とも子さん(79)も亡くなった。笠原さんは、忘れ物を届けに会社に来たとも子さんと何度か話したことがある。「口数が多い方ではないが、たまにボソッと言うジョークがおもしろかった。三上さんもそういう所があったので、やっぱり親子だなと思っていました」と話す。


2人の遺体は、同社の安置所に並べられている。笠原さんは「今でも信じられなくて、ずっと不思議な気持ち」と声を振り絞った。葬儀は13日の予定。「生まれ変わっても、また一緒に仕事をしたい」と声をかけるつもりだ。(井上昇)


町民吹奏楽団の指揮者


北海道厚真町高丘の松下一彦さん(63)は、町民吹奏楽団の指揮者を20年以上務めていた。地震前々日の4日夜の練習が、団員との最後の演奏になってしまった。


1986年の楽団創設時から在籍し、サックスからトランペット、ドラムまでこなした。95年に指揮者になって演奏の底上げを図り、レパートリーをジャズから演歌、ポップスまで250曲ほどに増やした。地元の「あつま田舎まつり」から福祉施設まで、様々な場で人々を楽しませた。


30年の付き合いがある団員の矢幅敏晴さん(62)は「ミスがあっても決して怒らず、ほめて伸ばす。だから自然と人がついてきた」と話す。突然の死に、「全然実感がわかず、信じられない。大黒柱を失った」と肩を落とした。


松下さんが特に楽しみにしていたのが、子どもたちへの演奏だった。普段はステージ上であまり話さないが、町内のこども園の演奏会では「この曲知っている?」などと語りかけた。今冬は「DA PUMP」のヒット曲「U.S.A.」を披露しようと話していたという。楽団の代表を引き継いだ下司義之さん(58)は、復旧が一段落したら活動を再開するつもりだ。「音楽を絶やさずに続ける。それこそが松下さんが望むことだと思う」(渡辺朔)


地酒の酒米農家


厚真町幌内の山本辰幸さん(77)は、町内に2軒しかない酒米農家だった。JAとまこまい広域の松原正明理事参事によると、酒米は地酒の「あつま川」と「美苫(びせん)」に使われていた。「あつま川は辛口、美苫はフルーティー。美苫はピーク時には約1万本売れていた」


「自分のやり方を貫く農家が多いなか、辰幸さんは基本を大事にしていた」と松原さんは語る。不作の年でも例年通りの収穫量を上げていたという。「一家総出で農業に励んでいた。地酒造りには欠かせない農家だった」と惜しんだ。(米田悠一郎)


亡くなった方々


【厚真町】


滝本卓也さん(39) 責任感が強い一家の大黒柱。米農家として汗を流す一方、祖母の病院の送り迎えを欠かさなかった


滝本舞樺さん(16) 幼い頃に母を亡くし、よく家事をこなした。よく笑い、将来はヘアスタイリストを目指していた


滝本芳子さん(95)


田中利子さん(68) 姉思いで面倒見もよく、米や野菜をよく親戚に分けていた


田中博さん(74)


土田健二さん(63)


中川久美子さん(58) 同窓会では盛り上げ役。「くみちゃん」と呼ばれ、いつもみんなの輪の中心にいた


中川信行さん(62) 農業で町を発展させたいと町役場に就職。「この人が必ずなんとかしてくれる」と言われる存在だった


中田朗さん(60) きょうだいたちが内々に還暦祝いを企画してくれたことを、うれしそうに話していた


中田守さん(64) 地震2日前の夜に台風の話題になり「土砂崩れが起きたら、どうしようもない」と話していた


中田靖子さん(62) 専業主婦で、マイペースな人だった。夫の守さんと旅行を楽しんでいた


中田美江さん(71) 料理上手。いつも笑顔で、カフェの調理場で働いていた


長谷川薫さん(47)


長谷川哲也さん(46)


馬場治雄さん(86)


早坂清さん(81) 自治会長を務めた地域のリーダー。新年会では酒をついで回る、気配りの人だった


早坂艶子さん(80) 婦人会長として、夫の清さんとともに地域をまとめた


三上昭人さん(54) 食べ歩きが趣味。飲食店の紹介記事を切り抜いて訪ね、周囲にお勧めの店を紹介していた


三上とも子さん(79) 職場まで忘れ物を届ける息子思いの母。口数は多くなかったが、ジョークを言う一面もあった


松下一彦さん(63) 町の吹奏楽団で20年以上指揮者を務めた。奏者をほめて伸ばし、町を音楽で彩った


松下陽輔さん(28) リサイクルの仕事を黙々とこなし、後輩に優しく接した。好きな野球では「勝利」を求めた


中田一生さん(76) 馬が好きで、仲間から「イッショウ」と呼ばれた。孫にランドセルを買う約束をしていた


畑島武司さん(86) 妻の富子さんと仲が良く、人の面倒もよく見る地区のまとめ役だった


畑島富子さん(81) カラオケが上手で「とみちゃん」と慕われた


佐藤正芳さん(65) 地震の前日、台風被害に遭った親類を気遣っていた


中村君子さん(94) 皿洗いや洗濯など、人があまりやりたがらないことを率先して引き受ける優しい人だった


中村初雄さん(67) 米農家。頑固な一面もあったが、人を裏切らない人だった


中村百合子さん(65) 家族写真や息子の卒業アルバムを大切にしていた


宮崎キヌエさん(92)


山本ひろみさん(50)


山本リツ子さん(77) 家族の中でリーダー役だった


山本辰幸さん(77) 町内で2軒しかない酒米農家。基本を大事にし、不作の年も例年通りの収穫量を上げていた


中村ミヨさん(76) 明るい性格で、子どもたちが悪さをした時には厳しく叱る母親だった


三上秀幸さん(60)


林崎清五郎さん(87)


林崎タケさん(83)


【むかわ町】


堀口政一さん(86)


【その他の市町村】


苫小牧市2人、新ひだか町1人、札幌市1人


(名前は未公表)



 

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