インドネシア中部スラウェシ島を襲ったマグニチュード7・5の地震と津波の被害を受けた島中部パルでは1日、生存者の生死を分けるとされる発生から72時間が夕方に迫るなか、懸命の救助活動が続いた。物流網が寸断されて支援物資が十分に届かず、混乱も起きている。
震源から約80キロ南にあるパル中心部のロアロアホテルの倒壊現場では朝から、救助隊員らががれきに登り、生存者がいないか声をかけながら確認した。経営者のデニー氏によれば、7階建てのホテルは地震当日、半数近い50部屋に客がおり、40人以上が生き埋めになったとみられる。
がれきを取り除くためのショベルカーが前夜に到着した。ここでは1日までに7人が救出され、5人の死亡が確認された。デニー氏は「一人でも多く、早く見つかることを願っている」と話した。
市内のレストランの倒壊現場では、住民たちが集まり、がれきの一部を取り除いて、中をのぞき込むなどして生存者がいないかを確認していた。地元メディアによると、30日には倒壊した住宅で生き埋めになっていた高校生の少女が捜索隊によって救出された。隣にいた42歳の母親はすでに死亡していたという。
病院、停電で手術できず
一方、沿岸部に近い警察病院には、津波と地震で亡くなった計545人の遺体がこの日までに運ばれた。病院の中庭には、身元不明の遺体が数多く安置され、行方不明者の家族らが確認に訪れていた。夫のアウィルさん(46)が行方不明のロニさん(40)は「心の半分は生きていてと願いながら、ここに来ている」と目に涙を浮かべた。
けがの手当てで病院を訪れる人たちも絶えない。医師(25)によれば、この病院ではけが人が収容しきれないほどで、停電で手術もできないという。
病院外のベッドで横になっていたファディルさん(10)は、親が営む浜辺のカフェで客にコーヒーを運んでいた時に津波に襲われたが、助かった。翌日まで気を失っていたという。顔から足まで全身が擦り傷だらけだ。「日曜日にいつも泳いでいたけど、もう海はいやだ」と力なく話した。
津波で頭に傷を負ったファティール君(7)は治療の間、おば(35)の手を握り、声を上げて泣き続けた。母(35)と妹(4)の3人で飲料水を浜辺で販売していたところを津波に襲われた。母と妹は行方不明だという。
略奪横行、荒らされる商店
パルでは食料やガソリン、衣料などの生活必需品が足りていない。パル空港が完全には復旧しておらず、港も損壊を受け、外部からの救援物資を満足に受けられないためだ。頼みは陸上輸送だが、近くの町と結ぶ2本の主要道路のうち、一つは土砂崩れが起き、渋滞が続く。
店舗では、食料や生活用品を求めて略奪が起きている。イスラム指導者会議が前日、「宗教上も略奪は許されないことだ。辛抱強く助けを待って欲しい」と声明を発表したが、市内の小売店はメチャクチャに荒らされ、品物が何も無くなっていた。鶏の薬を段ボールごと持ち出した40代の男性は「もう中には、棚ぐらいしかない」と話した。
余震が続くなか、大勢の人が高台や屋外で簡易なテントを張るなどして夜を明かす。避難生活への不安から1日、パルを後にしようとする数千人が空港に殺到してパニックとなった。
国家防災庁(BNPB)は1日午後の記者会見で死者は844人、重傷者が632人に達し、行方不明者も90人に上ったと明らかにした。ただ、震源に近いドンガラなどの情報はなお把握できておらず、地元メディアは死者数が1200人を超えると報じている。中央スラウェシ州の知事は「通信が不安定で、他の公的機関ともほとんど連絡できていない」と明かした。
パル郊外の墓地ではこの日、地元政府による合同埋葬が初めて実施され、身元確認が取れた18人の遺体が埋葬された。埋葬に立ち会った中央スラウェシ州警察の幹部によると、損傷が激しい遺体も多く、身元の確認が難航しているという。(パル=野上英文、ジャカルタ=守真弓)