救世主イエスが馬小屋で生まれたのは、よく知られるエピソードだ。長崎・五島列島に木箱に収められて伝わった複数の像など一式が、イエス生誕の様子を模した「馬小屋」の模型では、と注目されている。ただ、類例がないので異論も。世界文化遺産登録で耳目を集める潜伏キリシタンの信仰が絡む聖具なのだろうか。
大浦天主堂キリシタン博物館(長崎市)が、このほど発表した。模型は、福江島(五島市)南部の黒蔵地区で潜伏キリシタンの子孫の家に伝えられてきた。
縦27・4センチ、横48・2センチ、奥行き27・5センチの木箱の中に、山伏がホラ貝から顔を出した形の根付(ねつけ、印籠〈いんろう〉やたばこ入れなどに着けた留め具)や如来像、修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)像、女性が何かを捧げ持つような金属製の棒3本が、一括して収められていた。
像の分析から江戸時代の作とみられる。木箱には教会暦の帳面や、クリスマス・イブを指す「おんたいや」などと記されたオラショ(祈りの文句)、それに五島で信仰具とされてきたアワビの殻が一緒に入っていたため、同館はこれが潜伏キリシタンがあがめた信仰具と判断した。
キリスト教圏の絵画資料などと比較検討した結果、根付は布にくるまれた幼子イエス、如来はイエスの母マリア、役行者はマリアの夫となるヨセフか神デウス、金属棒はイエス誕生の祝いに訪れた東方の三博士に、それぞれ見立てられた可能性が高いとみている。
イエスはヨセフとマリアがベツレヘムへ向かう途中、宿をとった家畜小屋で生まれたとされる。同館の内島美奈子研究課長によれば、欧州ではこの情景を描く模型を飾ってクリスマスを祝う習慣があるといい、「(キリスト教の)行事を続けるうえで暦は必要で、クリスマスは重要な儀式と認識されていたようだ。ならば、この模型が馬小屋であってもおかしくない」。
大石一久研究部長は根付に注目。それを乗せる土台には、わざわざ固定できるよう、くぼみを丁寧に施しており、「子どもを寝かせるように作ってある。幼子イエスと認識されていたことを示すのでは」とみる。
江戸幕府によってキリスト教が禁じられた近世、九州の潜伏キリシタンは観音像などを聖母マリアに見立ててひそかに祈った例があるが、馬小屋は類例がない。模型は一部の専門家に存在が知られてはいたものの、納戸神などと考えられてきただけに、「新解釈」は論議を呼びそうだ。
潜伏キリシタンの文化に詳しい安高啓明・熊本大准教授は「暦や執り行ってきた行事・作法から当時の様子は推測されてきたが、馬小屋はそれを補うものとなる。(多数の潜伏キリシタンが発覚した)天草崩れ(1805年)で馬小屋が刻まれたメダイ(メダル)が没収された時の調書で、馬小屋とキリストの関係が理解されていたらしい古文書があるが、それを示唆する信心具一式があったとすれば、それが広域に認識されていたことを裏付ける」と話す。
一方、慎重論もある。宮崎賢太郎・長崎純心大客員教授は「信仰具として拝んでいたのか、黒蔵地区の人たちに聞くなどの作業が必要だ。江戸時代の物だからというだけでは確証がない。禁教が解かれて、『クリスマスにはこういう風に拝むのか』と知って並べたとも考えられる。黒蔵地区以外の潜伏キリシタン集落では、なぜ類例がないのかを含め確認作業を慎重に進める必要がある」という。
潜伏キリシタンの遺構や遺品について詳しい加藤久雄・長崎ウエスレヤン大教授は「馬小屋に『見立てた』という伝承があれば根拠になる。ただし、伝承そのものも変わっていく。どのように言い伝えられてきたのか正確に検証していくことが欠かせない」と話す。
模型は26日まで、大浦天主堂キリシタン博物館の企画展で公開されている。(編集委員・中村俊介、堀田浩一)