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私にとって、いわば蜃気楼(しんきろう)のような存在だった。
目の前に見えているのに触れない。時にゆがんだり逆さに見えたり。つかみきれない未知の世界でもあった。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)――。
「制裁なければもっと…」 記者が見た平壌6日間
北京特派員をしていた6年間。北朝鮮の内情に迫ろうと、国境に数十回出向いて定点観測をした。1300キロに及ぶ中朝国境は、ほぼ踏破した。国境を隔てる金網越しに朝鮮人民軍の兵士に声をかけ、装備や食糧の事情について探った。北朝鮮から来たばかりの脱北者からも最新の情勢を聴いた。両国を隔てる小川越しに北朝鮮の農民と話をした。中国側で漁船を借りて中朝国境を流れる鴨緑江から対岸に向かってシャッターを切り、朝鮮人民軍の監視船に追いかけられたこともあった。
それでもなお、一度も越境したことはなかった。私にとってはこんなに身近にありながら、その境界線は果てしなく高く、そして深く感じていた。
平壌市内でタクシーに乗る市民=峯村健司撮影
幸運にも今回、北朝鮮の建国70周年の関連行事にあたり、米CNNや中国中央テレビ、一部の日本メディアなど約150人と共に当局から取材許可を得て訪朝することになった。
その様子を映像を交えながら紹介していきたい。
ほほえみ、一転して険しく
眼前に、いつも見ていた胴体に赤い線が入った機体がある。
9月6日、北京国際空港第2ターミナル。北朝鮮国営の高麗航空がゲートで待機している。特派員時代、平壌便がある日はこのターミナルに通い、北朝鮮要人が出入りするのを注視してきた。「平壌行き」と書かれたゲートをくぐってもまだ、自分がその便に乗る実感が湧いてこなかった。
平壌国際空港に着陸した高麗航空機=9月6日、峯村健司撮影
紺のタンクトップのワンピースを着た女性客室乗務員が笑顔で出迎えてくれた。胸には金日成(キム・イルソン)主席と金正日(キム・ジョンイル)総書記のバッジがついている。私がカメラを向けようとすると、手で遮られた。
「機内では一切の撮影をしてはいけません」
微笑は険しい表情に一変した。これから訪朝するのだ、という現実として実感させられた。
機内は思ったよりも新しく見えた。英航空調査会社は機体の古さなどから、高麗航空に5段階で最下位の「1つ星」をつけていた。今回の機材はロシア製「ツポレフ204」で、1990年代から生産されている。国際線向けに新たに調達したそうだ。
機内のテレビでは北朝鮮の歌が大音量で流れている。先ほどの客室乗務員が笑顔になって戻ってきた。
「何を飲みますか」。机の上に少し小ぶりのハンバーガーを置くと尋ねてきた。選択肢は、水のほかブドウとオレンジの炭酸飲料。味の薄い「ファンタ」のようだったが、ハンバーガーはまずますの味だ。
高麗航空の機内食。照り焼き味のハンバーガーと、ぶどう味の炭酸飲料=9月6日、峯村健司撮影
30分ほど飛んでいると、アナウンスがあった。
「当機はただ今、鴨緑江の上を飛行しています」
とうとう一線を越えてしまった――。胸の高鳴りがわかった。悪いことをしてしまったような罪悪感も覚えた。そして不安もよぎった。日本人男性が8月に北朝鮮当局に拘束されていたからだ。
世界で最も監視が厳しい国として知られる北朝鮮。取材が難しいことは、最初から覚悟していた。当局者が常に同行し、自由な行動も一切許されない。そこで私は、ある刑事ドラマをヒントに、市民の本音を探ってみた。その結果は。
そうこう考えているうちに、機…