鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)での開催が30回記念となったF1日本グランプリは、メルセデスのルイス・ハミルトン選手(英)の優勝で幕を閉じた。日本人として初めてF1に通年で参戦した中嶋悟さん(65)は、若手に「世界に出て勝負を」とエールを送った。
鈴鹿に16万5千人 F1日本GPの記念大会を満喫
中嶋さんは、開幕前の9月26日、都内でインタビューに応じた。
日本グランプリが鈴鹿で初めて開催されたのは1987年。中嶋さんはロータス・ホンダで疾走し、6位入賞を果たした。当時の鈴鹿の印象をこう振り返る。
「緑と山しか目に入らなかったサーキットに、『色』が付いていて驚いた」
来場者が詰めかけた観客席では、各国の国旗が振られていた。時代はバブル経済の上り坂に差し掛かっていた。
「最先端の車への興味もあったし、新しい娯楽がやってきたとばかりにみんなが飛びついた。鈴鹿でF1が30回続いたのは、ホンダ創業者の本田宗一郎さんの精神というか、それを引き継ぐ今の技術者やサーキット関係者にも『続けなければ』という強い気持ちが息づいているからだと思う」
トップランナーの中嶋さんの背中を追うように、日本人F1ドライバーが続々誕生した。だが、2012年に鈴鹿で小林可夢偉(かむい)さんが3位で表彰台に立ったのを最後に、日本人ドライバーのF1での活躍はない。
「僕の時代は日本の経済が強く…