南海トラフ地震は、約100~150年ごとに繰り返し起きると言われる。津波の被災地に残る石碑や古文書、遺跡や遺物などからは「災害の記憶」が伝わる。石碑を中心に防災意識を高めようとする各地の試みを紹介する。 津波の脅威、記録でつなぐ教訓 和歌山市から南に約50キロ。和歌山県印南(いなみ)町は、太平洋に面した静かな港町だ。その港から500メートルほど離れた印定寺(いんじょうじ)を訪ねた。境内の観音堂の裏手に古い石碑がある。その側面に文字が刻まれていた。 「有大地震而山崩地裂、同未之上刻凹凸而津波揚来」(大地震があり、山が崩れ地は裂けた。午後1時半ごろ、でこぼことした津波が上がってきた) 町は江戸時代以来、3回にわたって津波に襲われてきた。江戸時代中ごろの1707(宝永4)年10月28日、南海トラフからとみられるマグニチュード(M)8・6の「宝永(ほうえい)地震」が発生。まもなく大津波が襲い、『和歌山県災害史』によれば、死者170人。1839年に完成した『紀伊続風土記』は300人以上が犠牲になったとしている。 石碑は「高波溺死(できし)霊魂之墓碑」と名づけられた。高さ約68センチ。13回忌に約170人の犠牲者を弔うために建てられた。背面には「浪之高、札之辻(ふだのつじ)至六尺余、印定寺門柱及弐尺余」(波の高さ、札の辻で六尺余り、印定寺門柱で二尺に達した)とも刻まれた。 この地域に達した津波の高さが、港から約100メートル離れた「札の辻」で約180センチ、さらに約300メートル離れた「印定寺門柱」で約60センチに及んだとする津波の規模の記録だ。 1899(明治32)年刊行の『和歌山県名所図録』に収録された寺の境内図を見れば、もともと、この石碑は人の目に付きやすい鐘楼前に立っていたことがわかる。紙などに書かれた「文書(もんじょ)」は見る人が限られがちだが、外に置かれた石碑は誰でも見ることが可能な場合が多く、移転されない限り長く保存される。 石碑を調べた県立博物館の前田正明主任学芸員(56)は「誰もが知る場所を基準に、津波がどの高さまで届いたかをわかりやすく示し、『災害の記憶』を共有しようとしたのでしょう」とみる。 □ ■ □ ペリーが浦賀に来航した翌年の1854年12月24日、「安政南海地震」が起きる。 印南港近くに屋敷があった森家… |
最古は14世紀、津波の脅威教える先人の碑 災害考古学
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